アマゾンプライムでは限定された映画を観ることができるので、何年か前に観たことのある、『パーマネント野ばら』を。菅野美穂さんも小池栄子さんも今より少しだけ若くて、そして、夏木マリさんは迫力がある。
離婚して、幼稚園に通う娘を連れて実家に戻ってきた清楚な菅野美穂が、高校時代の恩師でもある江口洋介と田舎町の浜辺や高校の理科実験室でデートを重ねる。実家の美容室「パーマネント野ばら」にやってくる農家の主婦たちや、幼なじみたちは、いずれも性的に奔放で、それぞれの人生の欠落をものともしない生命力に溢れている、はずだったが。
この映画の原作を電子書籍でもっていることを思い出して「蔵」から出してみる。
kindleではなく、eBookJapan のほうでもっていた。オールカラーなので、丁寧に読みたいが、映画との相違点を確かめるためなので、熟読玩味することなくさっさと頁を繰る。結論からいえば、主人公のデートの相手は、出身校の化学教師ではなかった。
小高い山々で中核都市から隔てられ、田畑と荒れ地に囲まれた日本の田舎の町の女すべてが、稼ぐことと育てることのほかは、老いも若きも男との性愛しか頭にないとは思わない。そう信じることは、「彼女たち」に対する冒涜であろう。だが、同時に、そうあることの可能性をひとつ残らず頭から掃き出すこともまた、酷い仕打ちであることは間違いない。わたしが上述のような典型的な僻村を出てきたのは、3歳のときで、確固たるリアルタイムの記憶というものはないが、大人になってずいぶん経ってから聞いた話では、けっこう奔放な男出入りのエピソードというものは幾つもあった。ただし、そこには、『パーマネント野ばら』にあるような、哀しいけど明るい、色事を人生にとって必須のものとしながらも一々の行き違いを笑い飛ばすような寛容さはなかった。人づてに聞く何十年も前の田舎の情事の描写には妬心まじりの湿った表現が多くて辟易したものだった。
それがからっと明るいのは土地柄ですかと問えば、高知の人からはいやいやその前提としてあれはフィクションですからと全力で否定されてしまいそうだけど。