ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

おん主の頽落

 おれはもういかんのかもしれぬなと衾を引き掛けて横臥したままであるじの殿がおっしゃったので、わたしは、いつものように聞き流して、そこかしこに脱ぎ散らかされていた御衣を簡単に畳んでからそばにいた小女房に下げさせた。わたしやほかの者が取り合わないので、おん主は、ああ、いかんいかん、おほやけごとなど思い通りにならぬのは一向に構わぬが、これという女人の噂をきいても、もうまったく食指が動かぬのはどうしたことだ、と、さらに続ける。そしてわたしのほうをちらりとご覧になるものだから、わたしも溜息をつきながら、というてももう効くようなお薬は出し尽くしてしまいましたから、とお応えするばかりである。
 おん主は、じつは高貴の生まれ。時流に外れはしたけれど、ご両親のいずれからも、かしこきあたりの血筋をひいて、やまとうたにかけては、双ぶものなしとのご評判。そして、みやびをとしても。
 ではあるが、このところ、春を迎えるころになると、おん主はこのように愁いを深くなさる。秋が深まり冬の窮まるまで、おきさきやいつきのみやといった、本来なら手を伸ばしてはいけない貴人から、ふつうの姫ぎみや奥さま、女官に女房、下仕えの娘、はては町の小路のおんなにまで、通ったりふみを遣ったりしていたのが、ぱったりと自分からはなにもしなくなる。宮中への出仕も、やまいを言い立てて滞りがちになるから、ご兄弟や出入りの受領たちにも心配をかける。
 見苦しくはない中年男の、春愁。わたしがふつうの人の娘であれば、同情もし、ひょっとしたらそれ以上に心を寄せるきっかけになるかもしれないけれど、あいにくそうはならない。わたしは、このおん主がひめみこのおん腹から生まれたときからお世話をして、もう何十年かになる。お前は年をとらぬたちらしいの、と鷹揚にいったあとは、お屋敷うちの差配をする女房の素性など知らぬ顔をして過ごすおん主であるから、わたしもそのままここに止まってお仕えしている。
 うめももさくら、咲いて散りきるまでには、きっと殿の御なやみもどこかへいってしまいますよ、と、わたしは、おん主をやる気なく励ます。そうかしらまた夜歩きしたりできるのだろうかとかれは心細げに口にする。毎年これの繰り返し。