『京都ぎらい 官能篇』を読んで、上位の人が下位の者にきれいな女を与えてがっちりと臣従を誓わせるという手法が、京都及びその周辺で繰り返されてきたことが、額田王、常磐御前、後深草院二条、勾当内侍らのエピソードを挙げて紹介されてきた。また、明治の中頃あたりの京都の扱いについても触れられていた。なるほど、夏目漱石は最晩年に至って祇園の女性の纏綿に触れはしたものの、それまではああでもないこうでもないと京都の風物に文句を垂れていたのだろう。
この本、あまり、「京都ぎらい」は関係なかったかもしれない。
官能篇のほうに、大昔、宮中で抱える舞を行う身分の低い女たちがなにも身につけずに宴席で踊ることを命じられ、とあって、明治宮廷の後宮で女たちの間だけでいわゆる「新参舞」の風習の現実にありやなしやという話を思い出した。新しく出仕した針女のからだに、入れ墨のないことを確認するための習わしだったというけれど、ある高等官出仕の人は、「そういうことはなかった」と断言している。