ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

寄せられれば身を避ける、ばかりでは

 25日、noteのある記事がはてなブックマークのホットエントリに入り、読んでいるうちに、この作者が戦略的にここまでのことを書いているのならひどいことだし、そうではなく、本心からそうしているのなら、つまり確信をもって書いているのなら悲惨なことだと実に嘆かわしく思った。

 ふだんは、ネットでもわりとおっとりとした界隈に身を置いていて、人との繋がりも意識して緩く保っている。それは、もし、わたしにひどいことが起こったときに本気で怒ってくれることを他者に望まない代わりに、誰かの近くに何らかの軋轢が生じたとき、それがわたしがわがことのように考える問題でなければ、ある程度の距離を保っていられるほうがよいからである。

 わたしは、心の底から喜ぶこともあるし、表層だけ笑みを浮かべながらうれしいということもある。それと同じように、怒るにつけても、それなりの強度と深度の分散がある。そのことは、わたしに許された数少ない自由のひとつである、なにを喜びとして、なにを苦しみとするか、自分が決めるという基点と、堅く繋がっている。

 たとえていえば、「どうか触らないでください」じゃなくて、「わたしから離れろ」ということばを選ぶようなもので。

 その小さくてしかし大切な自由を守るために、冒頭に挙げたような言説に対して、なにか声を上げたほうがいいのだろうなあ。どうしてこんなあたりまえのことを実現するために、ここまで面倒な目に遭うのかという過去の経験があるからおとなしくしていたかったけど、潰されそうになったらさすがに黙って轢かれるわけにもいかない。

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ことしもいろいろきれいに咲いた