ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

精細に眺める眼は失われたけれど

 博物館や美術館に入って、たとえば展示物が100件あったとして、そのすべてを熱心に飽かず眺めることは、もう体力的に難しい。事前にネットや印刷物で「お目当て」をだいたい決めておいたり、入り口で展示目録を手にしてこれとこれをゆっくり観ようとその場で考えたり、そういう観覧の方法をとるようになる。

 仏教美術のすぐれた作品を観るにうけても、この仏様とはきっと今生ではもうお目にかかれまいと思うと、しぜん手を合わせたくなるけれど、それは心のなかで静かに行うことにする。

 わたしの右眼の白内障は、二十歳代の終わりぐらいに始まり、徐々に重くなり、ついには視力が殆どなくなった。残った左眼に故障があったら日常生活すら覚束なくなる予感があったので、できれば手術を受けたいと望んだが、のべ20人くらいの眼科医に白濁が重すぎて眼底の様子がわからず、もし眼底の状態が悪ければ手術をしても見えまいと消極的な返事をもらっていた。そういう眼であったのをがんばって手術してくださった先生のお世話になって、複視は残るものの、右眼の視力は戻った。

 うすぐらい美術館のホールの真ん中の腰掛けにひととき座って、大きな作品を思い切った引きの絵で受け止めるとき、老眼でも複視でも感じ取れる絵のよさはあるのだなあと思う。

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サクレの梨にチョーヤの梅酒を

 ササイさんご一家は、サクレのレモンに自家製梅酒だった。