ぴょん記

お暑うございます。

博物館・美術館で記録するということ

 春先に、北陸地方のある都市で、中国の現代書家の作品展を観た。館内の写真撮影は、一部を除いて禁じられていたのだが、禁じられている当の展示室の中でさかんに写真と映像を撮っている母と息子と思しき二人組がいた。あまりに堂々と作品にカメラを向けていたので、すぐに、展示室の脇にいた係の人が、このあたりでは撮影はいけませんと日本語で声を掛けたけれど、それが通じなかったようなので、英語で同じことを繰り返したら素直に頷いてカメラを止めた。そして、係の人がいってしまったら、また躊躇なく撮影を再開していた。少しして、別の係の人に、今度はかなりきっぱりとした調子で警告されていた。

 あいちトリエンナーレのうち、展示が中止された企画展「表現の不自由展・その後」について、当初、展示の内容を撮影してSNS等に流すのは遠慮するように主催者側からアナウンスがあったときいた。その理由は、展示の一部を切り取ってセンセーショナルに扱われることで、展示の続行に支障をきたす虞れがあるからというものだった。しかし、その企画展は、SNS等での反応によるよりも先に、電話(や、ファックスや電子メール)による大量の苦情と、名古屋市長らからの展示中止要請、さらにテロ予告によって、主催者の判断により中止となった。

 写真や映像の撮影の禁止や投稿の制限って、著作権をはじめとする知的財産権の保護以外の目的では、いったいどうなんだろうな。

 機動隊の楯が大学正門前にずらりと並んだ厳戒態勢のもとで行われる入学試験というものもあれば、PMFの社員が怪しいとみた来訪者のバッグをひっくりかえして揚げ句の果てにふたりがかりでボディチェックを始めるような美術展があってもおかしくない。

 それがもし、ぼくらの望んだ自由のスタイルならば。

 

  今朝は、別の意味の「ユニコーン」について、ニュースが飛び交っていた。