ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

ヘルプマークなわたし

 持病関連の手続のために、区役所支所にいってきた。わたしが居住しているのは、東京都の特別区のひとつで、その人口は島根県とほぼ同じ。しかし、自宅の最寄りの支所は、どの鉄道駅からも微妙に離れていて、都営バスもまったく通っていないわけではないけれど、路線は1本で本数もけっして多くはない。晴れていても、降っていても、やや気になる距離ではあるけれど、徒歩でいく。片道20分かけて。

 必要な書類の殆どは、6月中に揃えていた。そして最後の書類が届いたので、手続に出向いたのだけど、ご関係の皆様には今回もたいへんお世話になりました。

 帰りは、さすがに歩く気力をなくして、上記の路線でふだんはまったく行かない都営線の駅へ。そこで、ヘルプマークを受け取った。都営バスを利用して通院する際に、そこにはなにもないかもしれないけれど、どうしても『あなたお若くてお元気でいらっしゃるのだから、座席をご年配にお譲りなさいよ。』という気配を感じてしまう。具体的には、遠慮のない凝視とでもいうのだろうか、それを向けられる。だから、それはもはや気配では済まないのかもしれない。この無遠慮にしてかえって無感情な睨みは、70歳より年嵩の女性から発せられることが多い。そう、わたしは、とても難病患者にはみえない。血色もよく、眼にも力が漲り、肉ののりかたにも和牛ならA3クラスはいけそうな充実感が横溢している。でも、実際は、バスの中ではなるべく座席についていたほうが、自分のためにも、それから傍に立っている人のためにも望ましい虚弱な人間だ。この見かけは立派な身体は、前触れもなく、ふらりよろりと倒れるからだ。そのくらい筋力は衰えている。だから、ヘルプマークをつけておいたほうが無用の摩擦を避けられるかとは思う。

 しかし、いくつか気になることはある。そのひとつがご近所づきあいへの影響だ。近所の人が、わたしのバッグに付けられたヘルプマークをみて、どこがわるいかと尋ねるかもしれない。筋肉に力が入らなくなる病気なんですよと、わたしは、答えるであろう*1。以前もそう答えた。ところが、それを聞いた近所の人は、誰かに聞くか自分で調べるかしたのだろう、誤った病名を探し当てた。以来、彼女は、わたしがその彼女が探し当てた病名の疾病に罹患しているという前提でわたしに接しているようだ。でも、わたしは、コンビニエンスストアにつっかけで出掛けたついでに、思いつきで軽食堂に入って冷やし中華をぺろっと平らげて帰ってくるような生活を送っているので、彼女の認識とは幾分の齟齬があるよなあ。別の近所の人は、あなたは簿記ができるんだからパートでも働けばいいのに、という。うちで少々仕事を、と逃げ腰になるのだけど、そもそも都立三商を出ていて商業簿記2級とかをもっているのはほかのうちの奥さんなのでこれもどうしようもない。

 なとど考えながら、早めのお昼を食べて甘いものを買ってまたバスで帰宅した。2回乗車なので、1日乗車券は買わなかった。

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早めのお昼

 

*1:病名そのものは答えない。同病の人の治療を妨げる恐れがあるからだ。これは、このブログなどでも病名そのものを書かないのと同じ理由。