ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

母と旅すれば

 今回のような旅行の場合、わたしは、片道か往復で飛行機を利用するので、林檎やトマトを切るための刃物を携帯するのを躊躇する。刃物は、場合によってはどんなに小さなものでも、空港の手荷物検査ゲートで、放棄するか一旦預けにするかの選択を迫られるからだ。だから東京からは刃物をもって出なかったが、3泊もするのだから林檎でも剥き、母に食べさせ、自分も一緒に、と考えて、現地の無印良品か百円均一の店で刃物を買おうと思っていた。でも頃合いのナイフを見つけられないまま、うろうろして宿に着いたら、母のほうから、菜園で穫れた小さいトマトと小さなナイフを差し出してくれた。そのトマトの苗は、わたしが代金を出捐して手配したタキイ種苗のものなので、いわば天然果実の現物給付そのもの。トマトは、小さな種類といいながら、その割にけっこう大きくまた数も多く、しかも途中で摘果した蜜柑の小さいのを2キロも買い込んだせいで、旅行中、ずっとトマトか蜜柑を食べていた気がする。

 母は、もう高齢なので、遠くに旅行するときは、地元の温泉町まできてもらってそこにあるホテルにわたしと一緒に泊まり、翌日の朝、目的地へ出発するようになった。若い頃は、地元の自治会の婦人部で、7人か8人連れだって、年に1回、2泊程度の旅を毎年していた。その旅は、ちょうど20年続いた。いまはもう、そのメンバーは、みんな十分に年を取ってしまって、それぞれの息子や娘が母親を旅に連れ出すようになった。

 今年は、6月に松山へ行き、10月に山口へ向かった。松山では、一六タルトという、実にわかりやすいお土産ものがあった。山口では、山陰堂の和菓子と、松永蒲鉾店の練り物を選んだ。後者は、ホテルでも勧められたけれど、もともとここの銀浪という蒲鉾のおいしさをよく知っていたので、タクシーを降りてからしばらくぐるぐる迷ったけれど、がんばってお店にたどり着いた。

 わたしは、15歳までしか、母と起居を共にしていない。母自身は、11歳で、その母親と死別している。母と娘の縁の薄い家系ではあるけれども、科学技術と資本主義、人間の我が儘のおかげで、毎日連絡を取り合い、わたしのほぼ日手帳に、「ハハ、大いに笑う」「ハハ、ご機嫌斜め」の文字が溢れる。

 いまから、ハハロスが心配であるが、なんとなくハハより自分のほうが先にどうにかなるような予感もかなり強くあることはある。

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中身はとらふぐ