ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

東京の夏はいつも

 このごろでは四月の中頃から夏日が出現して五月になると真夏日さえ珍しくなくなるのだが、それも梅雨に入れば、一旦仕切り直しとなる。梅雨、人は湿気に蒸されるという。なるほど湿度100パーセント近くなれば、さすがにわたしも数字上、少々蒸し暑いと感じないでもないけれども、気温自体が最高で27℃くらいであると、飽和水蒸気量もそれほどではないから、肌に貼り付く水の粒子もそれほど多くはない(※個人の感想です。)。

 雨が続く。ふと晴れ間があって、湿った強い南風が洗濯物をはげしく揺らしてなんとか乾かし上がる。それからまた数日の雨。この繰り返しのうちに、東京は、ついに梅雨明けを迎える。例年、だいたい7月20日ごろ。公立学校の夏休みの開始と梅雨明けは重なり、それに3年に1度、参議院の改選も加わる。

 梅雨明け十日というけれども、まさにここから先、どうにも身の置き場のない熱暑が旬日かそこら続く。西瓜やメロン、炭酸水を冷やして身の内に取り込むというのはすでに5月ぐらいから励行しているが、ここに氷が加わる。コンビニエンスストアで1kgの氷を買ってきて、それを器械で掻いて蜜をかけて啜る。疾患の再燃を防ぐために、クーラーで冷やして卓上扇も当てている自分の身体が、人工的にさらに凍らされて平衡がとれず、寝ていても目眩がするような心地になる。

 暦の上では立秋が過ぎて、土用波が立つ頃になると、また熱せられた地面を冷やすためか雨が多くなる。宇多田ヒカルさんの『真夏の通り雨』のような、短い午睡から覚めたらいつのまにか止んでいた雨から、深夜まで続いて未明に上がるような長めの雨までいろいろ。さすがにそうなると、クーラーを止めてサーキュレータだけ回しても身体の中に熱の滞りは生まれない。夏に、とくにこれといった思い出になるようなあれこれがなくとも、この時期は、さびしい。さびしいのがむしろ普通である。

 八月も末になると、日によっては爽やかな大風が吹き過ぎることもある。通り雨も収まり、秋雨前線の発生にはまだ間があるので、この頃は、朝干した洗濯物が夕方にはしっかり乾いてしまうのがありがたい。朝顔が多く咲いてだんだん種を付けるけれども、それを採って次の年に蒔いても、もとの種ほどには育たないのが、科学というかビジネス。これが、晩夏の景色。

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再掲