ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

わたしの城下町

今週のお題「好きな街」

 いまも頭の中には、現実現在のものとして、わたしが谷あいの小さな村落から移り住んだばかりのころのふるさとがある。引き移った当時、わたしは5歳で、その直前まで鶏をふやして庭のそこかしこに雌鶏たちが生んでは隠す卵を毎朝回収するのがおもな仕事だった。卵を茶碗に割り入れて鮮度を確認し、ボウルで混ぜて、土間の七輪の上で温められたフライパンにバターの次に流しては、家族4人で食べる大きめのオムレツを焼いたりしていた。ガスコンロにはまだ手が届かなかった。

 その鶏らとの暮らしを離れ、ふるい城下町に暮らし始めてからは、隔日で駅前の購買所や商店街を日々の必要に迫られて買いものをして歩く母やその背に負われた小さなきょうだいとともに外出するようになった。駅前をすぐに流れる大きな川に架かる橋を渡って、母の背中で眠るきょうだいの様子をときどき確かめながら、鶏卵や乾麺のようなものを自分の手提げに入れてもらっては母とたいていは黙々と歩く。当座の住まいとして借りた小さな家はほんとうに小さかったけれど、奥の借家の老夫婦は親切で、裏の下宿のお姉ちゃんたちはよく構ってくれた。その後、数年して、家の準備ができたので、山の上の家に移った。

 いまもそこがわたしの帰省先であることに変わりはない。しかし、そこの人口は、主観的には当時から現在までに10分の1くらいに減ってしまった。理由はどうあれ、その町を離れた者に、町の勢いの衰微を嘆くことは許されない。だから、わたしは、こっそりと、あの、土日になればアーケードの中に人があふれ、午後になると知り合いに会うから面倒と、朝の早いうちに自転車で出かけ、花屋と服地屋と本屋を回って、ついでに化粧品店で母の化粧水と新しい『花椿』を受け取り、川沿いのプロムナードの脇をいま思えば無謀なまでの高速度で走っていた季節を大切に思い出す。

 そして、小柳ルミ子さんの唄う『わたしの城下町』は、未来の自分が同じ歌を聴いてはきっといまの暮らしを思い出すだろう、そのためのトリガーとしてこの歌謡曲は機能するのだと、この曲をはじめて聴いたときから信じていた。だが、現実は少し違っていて、わたしの十代は、その町ややや大きい県庁所在地の市で、数学のプリントや通信添削の課題を解いて毎週模擬試験を受けているうちに、あっという間に終わるのだった。

 

わたしの城下町

わたしの城下町

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 ……いいカットのしかたである。

チョコレートの写真でも。