当時、わたしは7歳程度だったので、事実の全容を知る由もなく、また関係者の大半が多くを語らずにすでに死亡してしまったために、結局、正しい事実を把握することはかなわないだろう。その種の小さな話です。
わたしのきょうだいを、あるおうちが養子に望んだ。そのきょうだいとわたしとは、全血のきょうだいではあるけれど、わたしのほうに諸々弱いところがあり、そういう子を含んだきょうだい全員を育て上げるのはいかにも大変だろうと見かねての、善意にあふれる申し出だった。経済的に、というよりは、おもに手間が掛かるであろうというニュアンスで。
その申し出自体は、まあなんとかなるでしょうとわたしの親がやんわりと辞退することで、そのうち雲散霧消してしまったに見えたが、その後もことあるごとにそのおうちからの、『もしもあの子(当該きょうだい)を我が子としていたならば。』という視線を少なくともわたしはうっすらと感じ続けていた。
他方、わたしはといえば、学校で6時間の授業を受けるのもやっとで、できれば3時間目が終わったら給食はいいから帰宅したいと中3ぐらいまで考えているような虚弱なこどもで、よそのうちから養子のオファーなどもらったことはない。身体の弱さとは別に、わたしには、いわゆる子柄のよさというか、家に置いて面倒をみたいと血の繋がらない他人が子に擬すような愛嬌が欠けていた。それは、5歳くらいからもう自覚していて、なにかにつけ出過ぎないように心がけるのだが、そのような態度に対して大人から飛ぶのは、なぜかいつも決まって「こどもらしくしなさい。」という叱声だった。
思うに、この世の中で、こどもらしさほど、装って失敗したときにいたたまれないものはない。女らしさ、平人らしさ、まめまめしさは、それなりに、愛されたい、育ちのよさを意識させたくない、相手を大切にしたいという気持ちを示したい、というようにたとえうまく演じきれなかったとしても、意図したものの残滓は伝わる。しかし、こどもらしさは、装おうとした時点で、すでに敗北している。巧まずしてこどもに見えるというのは、ひとつの才能だからである。本質的才能の欠落は、努力で埋め合わせの効くものではない。
ともかく、そのあたりから、なんとかしなければならないけれども、なんともならないこともあるのだろうと予想しながら、生きてきたわけだけれど。
現実とは異なる両親のもとに生まれて(生物学的には生まれるわけもないけれども。)、そこで育っていたら、自分はいったいどんな人間になっていただろうかと、なんとこの年になってはじめて、殆どはじめて想像しているわけだけど、自分が自分でない人になるという空想は、思いのほか、難しいな。