ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

自分は中立でもないし公平でもないと

 今年2023年6月に、X(旧Twitter 当時はTwitter)のアカウントを新しく作った。その直接の原因は、このブログにわたしがそのころ載せたエントリである。

 ところで、九州の5つの道の駅に授乳コーナーが設置されたが、それが段ボール製で高さ2メートルの上が開いていて施錠もできないタイプの代物で、というニュースを見た。しっかり外で見張っていてくれる大人や、いっしょに授乳コーナーに入っても退屈して外に飛び出したりしない乳幼児のきょうだいの協力がなければ、安心して授乳コーナーを利用できないという多くは女性たちによるPost(旧Tweet)をみて、その6月のエントリのことなど思い出していた。

 九州は、数少ない大都市圏を離れると、とたんに公共交通機関がJRをはじめとして細く弱くなる。そのため、自動車の利用が生活の維持には切実に必須で、高齢で運転免許を返納した老人のみの世帯など、タクシーに乗ってスーパーマーケットへ往復したりする。頼みの綱のネットスーパーは、山間部までもってきてくれるのは百貨店系のスーパーマーケットが運営するものただひとつで、あとは生協の宅配ぐらいしか頼れないという県もある。

 そういう地方では、道の駅は、店に生鮮品を買い込み、軽食を取り、トイレを使うために重要なインフラだ。ドライブ途中で、乳児に授乳する人がどのくらいいるのか、道路や道の駅を管理する事業体は、調査をしたのだろうか。「寄贈」される授乳コーナーの実物や模型、図案を授乳する人その他の人に見せて、反応を探ったのだろうか。授乳コーナーにいる授乳者、乳児、その他のこどもの安全なんて誰も脅かさないよ、なにもないよりはあったほうがずっとましでしょう、とは、授乳しないわたしは、けっして思わない。抽象的な危険以上のものを感じる形態である。災害発生時の緊急避難的な場所ではなく、恒常的に設けられた、下手をするとデファクトスタンダードとして全国に広がっていきかねないものだからこそ、いまのうちにいっておきたい。あれは、危ないし、そのために使用を思いとどまる人が多く出かねない。

 などと、今朝も、中立でもなく公平でもないわたしは考えたのです。

どんどん詰めてきた