ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

近頃やや驚いたことには

 この住宅の付近で夏祭りがあった。夏とはいいいながら、時期的には、地蔵盆に近い感じで、こどもたちの福引きなども賑やかであった。最後の方にはささやかながら打ち上げ花火もあったようで、うちの玄関ホールの近くにもついぞ姿をみたことのない子どもさんが十人ばかりエレベータで上がってきて、花火に歓声を上げていた。少し前から蚊取り線香を焚いておいてよかった。少なくとも蚊に刺された子は、うちの近くでは出ていないと思う。

 そりゃええのだけど、その盛会ぶりにも増してびっくりしたことがある。それは、撤収の素早さだ。翌朝、会場となった広場を眺めるに、もう空き缶1個、花火ガラひとつとして落ちていない整然とした片付き方で、これは自治会の皆さんのみならず、設営を請け負ったイベント会社さん総出で、深夜から早朝に掛けてお掃除されたのだろうと推測した。なんという、水際立った取り回しだろう。さすが、自分の家の前と地続きの数尺はきっちり掃くという洛中の流れを汲む土地柄である。散らかしっぱなしは、世間が許しません。

 間違っても、なにかよいものが落ちていないか、早朝から地面を探す人々の蠢く影などないのである。だって、なにも残っていないから。

 それはもう先月の話で、熱を出したり寝込んだりしているうちに、はやくも六日になってしまった。

ボトルのデザインもシールのデザインもなんとなく。

 外に持ち歩くわけでもないのに、空間があるとシールを貼りたがるきらいがある。右のシールはコルネのシールで、左のは、フェリシモさんの手帳用シールを流用。はい、無印良品のパッケージには、用の美ならぬ余白の美を楽しむよさがあるのですが、でも、つい貼ってしまうのです。