昨夜、ずいぶん遅くに、にわかに空腹を覚えて、銀座カリーの仲間のレトルトで銀座ハヤシというのを温めて、ごはん160gに掛け、半分食べられればいいというつもりで食べ始めたけれど、結局、すべて平らげた。昼と夜の食事をほとんど抜いていたのと、なんだか寒い中を移動して帰って、身体が温まらないままに具合が悪くなったのとで、単純にいえば、温かさと塩気が欲しかったのだろう。
以前、わたしはしばしば頻脈の続く状態に陥り、錠剤や注射で抑えたり、呼吸法(というか、しばらく息を止める。)で整えようとしたりした。頻脈は自分でもわかることが多いけれど、徐脈はわたしにはわかりにくい。くたびれたかなと思ったら、台所でなく、食卓にやや高価でより旨い塩が瓶に詰められておいてあるので、それをごく少量摘まんで舌の上に置いて嘗めてみたりする。峠で博労の人が荷役のウシやウマに岩塩を与えるのと似ている。アイソメトリック飲料のほうが効くのかもしれないけど、ふだんが低塩なので、粒の海塩はけっこう効く。
その塩ではなくて、ハヤシライスを食べきってしまったところに、わたしの孤独の根が見え隠れしているような気もする。うなぎ、だ。わたし以外の家族が、それぞれきれいに平らげた、たぶん中国産の、しかしつやつやとした身の肥えた一切れ二切れが乗った白めしの輝きに、めし喰うことで一日を締めくくれないわが身のひよわさを嘆いていたのだ。人間いくつになっても食べることの執着からは逃れられないものなのか。