表題「興味の対象はどんどん移せ」:なぜなら、個人に与えられた時間は有限で、いったい何に没入することで、よりよい人生を過ごせるかは、本人はもとより、親や身近な人にもわからないから。
それはそれとして。
わたしは、身近な記録をテキストファイルに残すことをかなり長く続けてきた。そこに関心を抱いたことを書き残した。そのときどきで熱中していたのは、けんきうだったり、仕事だったり、家事だったり。もし、こどもを育てる機会があったなら、きっとこどもに関連することどもに関心を注いできたであろうし、ギャンブルが大好きであったならばそれなりにそれを楽しめる方向に時間と労力と若干のお金を費やしたことだろう。
そして、きっとそれをテキストファイルに残して、ネットに上げていた。ちょうど25周年経ったというベルリンの壁の崩壊の日ごろ、出会ったBBSやニフティサーブを経由して。インターネットそのものは、当時、国の機関の間でも完全な実用段階にはなかったはずだ。
いま、育児記録やギャンブル戦歴ではないものの、幾らかはそれらの記録(=ログ)がネットの内外に残存している。読み返すことは、ほとんどない。それをすれば、当時のきつい思いが、あるいは瞬時に、あるいはじわじわと甦ってくる。かなり長い間、家族に、「食べものとお金のことしか考えていない。」と評されるほど、家計の切り回しに苦労していた。そのあたり、どの種類の苦労をしていたかをここで詳しく書くことは避ける。たとえ小競り合いであっても、無用の紛争を起こさないためである。
「ちなみに、私の夫の年収は(以下略」というフレーズには、ああ書き手の人、あれこれたいへんなんだろうなとしか感じない。
とりあえず、日々の記録を記す行為は、それを書いて不特定多数の公衆の目に晒すことで、しかも自分も目元を隠す程度の仮面を着けてそれをすることで、何らかのまとまりをわたしの人生に与えてはくれた。いわば、長らくゆったりと、たまに河岸を変えては没入してきた興味の対象というのは、わたしにとって、テキストファイルを書いては、ネットの海にこっそり放流することだったのだ。けんきうや、仕事、家事そのものではなかった。
げろしゃぶさんのブログへのお返事として、なにが書きたかったかというと、まあ、どこか幾つか拠点を残しておいて、あれこれ書いておくと、何年か続けてつきあうネット由来のお友達というのもできて楽しいですよわたしも生きているうちはお友達の端に数えておいてくださるとうれしいですよということです。