ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

漱石から先が読めない

 今年の2月に京都に泊まりにいく前に、川端康成『古都』を読んだ。北山杉の里で心細く育った娘と、内実はともあれ名の通った商家のお嬢さんが、ほんとうは生き別れたふたごであった、という切ない小説だ。この娘たちも、周囲の人たちも、まあまあフラットな気質で目を覆うばかりの惨劇とか、再会しなければよかったと悔やむもととなるような羞恥などはない。社会の中で自分が置かれた場所での弁えさえ守っていれば、苦しいなりに人生は続くのだという、新聞小説らしい終わりかただったと思う。

 だが、同じときにKindleにいれた『伊豆の踊子』は、やはりよくわからない。この作品、わたしは何度読んでも主人公の青年の気がしれない。そして思い出す、「新思潮」どころではなかった。漱石と鴎外からあとの作家の作品は、たいていわからない。教科書に載っていた宮沢賢治も、太宰治さえも。男性作家だからそうなるのかと、たとえば林芙美子岡本かの子にも試しに手を伸ばしてみたけれど、似たようなものだった。この頃になってやっと、織田作之助を読んでみるようにもなった。あいかわらず馴染めないことは同じだけど。

 たぶん、あたまが近代文学に向いていないのだろう。

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また、種まき

織田作之助 (ちくま日本文学 35)