ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

友だちじゃないのに、親切にしてやったのに

 記憶に残る限りで何回か、きっとそれ以上は見ている夢で、「県立高校に入り直して1年生からやり直す」というものがある。現実のわたしはすでに年寄りの部類に属する(と思う)のだが、2度目の高校に生徒として通っているわたしは、だいたい20代後半くらいの見掛けだ。

 そこでは、つねに、「友だちってなんだ」という普遍的な問いに突き当たる。だから、その幻の高校生活第2試合の夢は、いつも苦く終わる。

 人間とのつきあいにおいて、かなり理不尽な目に遭ったとき、わたしは、相手にとって自分は大切にしあう関係にない存在なので、という理由をつけて、その間柄から遠ざかるようにする。わたしを大切にしてくださいと頭を下げることは滅多にない。困難に立ち向かわないのだ。

 これが、自分に子どもでもいて、その子をコミュニティに迎え入れてくださいとお願いするところなら、もしかしたら七重の膝を八重に折って、言おうとすればいくらでもいえるお愛想を口にして、目的を成就させることも厭わないだろうが、あいにくここは自分ひとりのことである。自分を大切に思わない人に情けを期待するのは、通りすがりの人から1万円恵んでもらうのと同じくらいしてはいけないことだ。

 そういうのとはまた別に、「やめるか死ぬかするまで虐める」という狂気を目の当たりにしたことがある。それは、結構な圧力である。それに対してわたしは、「虐められてもやめも死にもしない」という態度で接した。それを傍観していた人たちを加害者と同類同罪とまではいわないけれど、彼らをもとても冷めた目で見る気持ちはいまでも続いている。

 幼少の砌、勉強はほどほどでいいから友だちと仲良くできるといいねえ、とハハが繰り返しいっていた。友だちっていったいなんなのかねえ。

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