ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

ずっと仕事をしていた、はずなのに

 だいたい朝のうちに、軽い掃除に皿洗い、洗濯機1回転ぐらいを済ませてから机に向かうようにしている。それを一昨日の火曜は、皿洗いだけして、あとは夕食の仕度までずっと作業をしていた。

 大人と呼ばれる年齢に達したのだからしかたないと割り切って、わたしは長らく自分の時間と労力を市場に曝すことで米代を稼いできた。スキルも気働きも協調性も、どれも足りないわたしのような者にも、なにかしらの仕事は用意されていたわけで、分相応という心懸けさえ忘れなければ、それなりに安堵して暮らしていけたわけである。もっとも、わたしの考える分相応な恰好というのは、大伯母や母親やきょうだいにいとこらが思う「分」のレベルに遠く及ばないものらしく、質素に過ぎるとか、もっとダイレクトにみすぼらしいとかよく言われたものである。失礼ねえ、ちゃんと洗ってアイロン掛けているのに。

 作業中、ふと自分の右眉を触ってみた。縦方向にも横方向にも毛が増していた。つまり、縦方向には眉をカットして、横方向には電動剃刀でシェービングして、その毛のほとんどと、その他の毛の多くを顔面から排除しなければならなかった。資料を片付けて、机の上にA3大の隙間を作り、鏡を立てて顔の毛剃りが始まった。もう、これでもかこれでもかというくらい、産毛が剃れて(「産毛」というけれど、本体は生まれてからいったい何十年経っているといつも思うことよ)、眉の余分な部分もたくさん切られた。毛を除かれた顔の表面を洗って拭いてクリーム塗って、その瞬間だけは、わたしはほどほど毛深い人でいられる。数時間も経てば、ふつうのかなり毛深い人に戻ってしまうけれど。

 このようにときどき大きく脱線しながら、それでも黙々と仕事を続けた。わたし、前職は、一日中どころかときどき真夜中までも喋って喋ってたまに考えて、という明け暮れだった。それがいまは、家で黙って机に向かうのが常態になっていて、たまに人と話すと、脳のいつもは寝かせている部分が急に動き出したという感じがする。前頭側頭型のなんとやらというけれど、わたしの人と話すのにつかう脳の部位は、ふだんは深い海の底に置き去りにされて、持ち主であるわたし自身にもその存在を忘れられているような感じだ。

 お昼に好きなものを食べて、午後、外にもっていく手帳の更新準備をした。わたしのほぼ日手帳は、オリジナルもWEEKSも4月始まりなので。いまの仕事も好きで、それはうれしいこと。

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中身をぼちぼち写していく

 

 

Oui Oui

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 「京都慕情」しかもっていなかったので、コンプリートした。

 

 これもコンプリートした。