ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

なぜ苦手なことや恥を掻いた経験を隠すのですか

 わたしは、ツイッターで「疲れた」「頭が痛い」「なんとかがほしい」と、あまり書かない*1。それは、ミクシィのユーザーだったころも同じで、自分の「苦手」「恥」「悲哀」については、あえて言及を避けていた。これらに触れないのには、幾つか理由があるが、それら自体が明らかにしたいものでもないので、ここは、わけあって「苦手」「恥」そして「悲哀」は、露わにしないのだという点だけ押さえておかれたい。以下は、それとは別に気付いたこと。

 ミクシィに書いていたころは、都合のいいことばかり書いて!と批判されることがあった。虚偽を書いているわけでなく、また、プライベートな悲しいことを書くか書かないかはわたしの自由なので、叩かれるに任せておいた。そのままにしておいたのは、そういって叩く人が好きだからとか嫌いだからとかではない。ことは純粋に個人としてのわたしの判断と選択に関わる問題であるからだ。

 わたしには、人として残念なところがあって、たとえば、他人の個人的事情を正当な理由もなくほかの人に喋るのと、誰かの悪口を叩くのと、どちらがましなのかと大真面目に考えることがある。それから、学校のクラスや職場の内部で、インフォーマルな力関係が生まれる理由やいじめという名で総称される諸々の犯罪が生じる原因を延々と思い浮かべたりする。これだけ科学が進歩しても、人や、人々が、単数や複数の誰かを苦しめて抑圧する原動力となる悪意のメカニズムはなかなか解明されない。

 そういう因循な人間が身の回りの気にくわないことをミクシィその他SNSに書き始めたら、もう少々のことでは収まりがつかないだろう。怒りや悔しさ、悲しみをふたたびみたび燃え立たせて、小文をしたためることでわたしの二十四時間は埋め尽くされる。それでは困る。

 わたしの人生も、他人の暮らしも、それぞれの命を楽しむためにこそあるのだから。

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ファミリーレストランでお昼

 

*1:ただし、はてなブログでは、病気の話はよく書く。