ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

雨に備えて for a rainy day

 明日の金曜日は、東京でも雨が降るそうな。10月に入ったとはいえ、気温は高く、きのうも夕刻まで冷房を入れて過ごした。半袖どころかノースリーブで過ごしながら、あと90日ほどで元旦だなどと思案する。遡ること90日前は7月の始めで、長引きそうな梅雨寒の中、京都に出掛ける仕度をしていた。こうやって四季は循環していくものと、やっとうろ覚えながら得心がゆきはじめたころ、人生は黄昏時を迎える。でも、それでいいじゃない。なんの障りがあるというの。

 今朝、やっと『枕草子』の文庫本下巻の脚注まで読み終えた。中学の斡旋で旺文社文庫で買った『枕冊子』は分厚い1巻本で、だいたい読んだと思っていたが、長い年月のうちには、記憶がぽろぽろと欠落している。類聚的章段ではない、日常生活の思い出や、もはや誰が語り手かわからない小さなものがたりも、それぞれに味わい深い。清氏の闊達さに比べて、紫式部の因循さを指摘する論者は古今を通じて多いけれども、わたしには、『枕草子』の書き手もかなり面倒な人に思える。同じくあるじのそば近くに侍っているとはいえ、参議以上の家の若い娘がおきさきのもとに伺候しているのと、受領階級出身のひょっとすると子持ちの主婦が才学を買われていわば文芸に関するプロとして雇われているのとでは、まったく違う。文芸のプロは、折に触れて、「働き」というものを見せねばならないし、それを賞賛され、妬まれるところまで女房勤めにはセットになっている。そのような暮らしの中で、何度かの不如意な里居を経験し、あるじである皇后宮の若すぎる死という悲劇に遭遇するわけで、そこまでを彼女の筆が書き留めたものは現代に伝わっていないけれど、きっと当時、彼女は何らかの記録をものしていたことだろう。中関白家の凋落や自らの落魄を描いた清氏の文章、読みたかったなあ。

 

徒然草 (ちくま学芸文庫)

徒然草 (ちくま学芸文庫)

 

  この秋のうちに、『愚管抄』や『往生要集』も読んでみたいけど、まず、こちらを。