子どもは家事をするもの
19世紀以降、イギリスの男子名門校で、お屋敷ではメイドや従僕に傅かれて育った若様たちが上級生の召使のように、お茶の世話やベッドメイク、靴磨きや衣服の管理をさせられてスキルを磨いた話、好きです。
2019/07/07 09:15
このアノニマスダイアリーの元記事は読んでいないので、議論には加わらない。何人かの方が指摘されているように、熱源や刃物にかかわるにはある程度の体格やスキルが必要とされるし*1、それ以外の家事でもたとえば「混ぜるな危険」な掃除用洗剤を使うのは5年生から先とか、発達の程度に応じて一定の制限が自ずと生じるとは思う。ただ、家事は、面倒ごとではなく、今日の汚れを落とし、明日への活力を養い、味覚を楽しんで未来へといのちを繋げるための大切な作業の積み重ねだ。そのことをこどもに教え込むには、まず、おとなが、家事を広い意味で楽しんで行っているほうがよい。
「見えない家事」の裏側が、外で働くひとの言葉で表現し尽くせないあれやこれやで、あのG石鹸のCMは、そういうのを「さ、洗い流そ」で、よかったんだけど、お蔵入りになってしまった。話題をつくるCMは、それだけで一定の価値があるものなのに、しかたないとはいえ、もったいない。
— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2019年7月7日
京都の一部の家では、その家の跡取りさんが家族だけでなく使用人の皆さんも使うご不浄のお掃除を小さいときから担当するようになっていた、という話をきいたことがあります。
— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2019年7月7日
わたしは、きょうだいの中で、財務担当取締役ならぬお手伝い担当こども員だったため、洗濯もの畳みやお遣い、調理や食器洗いなどはよく手伝ったほうだと思う。飲食を伴う来客の多い家だったので、簡単な酒の肴の作り方などは、婦人雑誌や新聞の家庭欄でみて覚えて実際に作ってみた。お義理でも、これは旨いと座敷から声が上がる。それが嬉しくて、次も工夫を凝らす。それが調理の楽しみのひとつだ。それをきょうだいの中で、わたしが独占して育ってしまった。七輪を二つもみっつも並べて炭火で焼く鶏も、オーブンの中でだんだん仕上がっていくローストビーフも、ほかのきょうだいは、お客さんに出した後のをおいしく食べる嬉しさしか味わうことはできなかった。それが憾みです。煙っぽくなるから脂がしみつくからと厭がっていたけど、強いてでも一緒に作ればよかった。