ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

破裂しそうなまでの空虚さ

 連休も最終日となれば、食事の仕度と後片付け、洗濯に掃除とふつうの日よりも多めの家事が目の前を通過していく。このごろは黒胡麻を搗きこんだ切り餅に執心していて、それを熱湯に短時間浸して、きなこをまぶして食べたりする。きなこには、砂糖と少量の塩を混ぜたりしていたけど、大豆の粉であるきなこだけでも自分は別段構わないことがわかった。玄米餅1個と胡麻餅1個とか、胡麻餅2個とか、胡麻餅と白い餅各1個とか、とにかく一度に2個は食べる。部屋に火鉢でも据えていたらきっともっと食べたことだろうが、さいわいなことに、餅を焼くのは台所のグリルなので、ひとりあたま2個以上は焼かない。

 刀削麺サイゼリヤも、食べてしまえば思い出と領収書だけが残る。つぎの食事はせっせと自分で用意しなければならない。サイゼリヤの、あの、月に2回寄ったとしても飽きてしまわない、いうなれば寸止めのイタリアン感は、わたしには出せない。ビスク鍋のもとのレトルトとカゴメの基本のトマトソース、牛乳1本で仕立てた鍋で牛肉と正月菜*1などを温めて、残りのスープをルヴァン種のバケットで掬って食べたのなど、ナポリよりは小学校の給食室がよほど近かった。つまり、イタリアン感は、よほど薄かったのだ。

*1:みかけは小松菜、味は白菜、とか。