ただでさえ、年間でも数えるほどしか予定が乏しいのに、さらに今日の約束を削って、また終日、自宅で過ごしていた。家事はこなしているので労働量は軽いとしても幾分はあるだろうに、歩かないものだから腰から下を殆ど動かさず、ゆえにちょっとしたことで身体が横に横に泳ぐ。とくに机のある部屋から狭い廊下にでる間際にふらつくことが多く、そういうことが事実を超えて悔しくも情けなくも過度に強く感じられるのは、気分が下を向きがちであるからだろう。
Tokyo2020の開催自体もすでに不透明で、それは、そもそもその問題にもっとも大きく影響するといわれる、現在流行中の新型肺炎の疫学的評価自体が定まらないからだ。わたしは、肺の能力の何分の1かを失うという病気に罹ってい「る」らしいのだが、新型肺炎の症状がもっとも重くなる時期の苦しさはとてもつらいという。そのつらさと激しさに、この弱った身体と、なにより脆いこころが耐えられるとは思えない。
とても憂いことである。