ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

なるべくなら生き延びたいあなたもわたしも

 2013年の春先、身動きも儘ならぬ状態で、近所の町医者を2軒訪ねたけれども、ワセリンと痛み止め以上の薬はほぼ処方されず、また、大きな病院にかかるべきとのコメントも得られなかった。いよいよ衰弱した5月の連休明けに、大きな病院に掛かったら、検査の数値をみた副院長がこれはと驚いて、提携関係にある別の大きな病院に送ってくれた。そこで入院となって、全身検索をしたところ、MRIで別の問題がみつかり、翌月、大きな手術を受けた。もっとも、手術を受けることになった部位とはじめに見つかった身体の不調等は、実は深く関連していたのかもしれないが、いまとなっては知るよしもない。

 なにが書きたかったかというと、わたしのような面倒な症例の患者が大きな病院で治療を受ける余地は、現在の医療現場には殆どないのではないかというはなし。なにしろ、一部の病院では、切除術を要する悪性腫瘍の患者さんですら、手術の予定を延ばしているのだという。つねより無防備になって横たわる院内で、もしも新型肺炎のウイルスに感染したらという心配もある。生き延びるために、ウイルスを遠ざけつつ、ウイルスのもたらす影響をしっかり受け止めざるを得ない。

 これがパンデミックにおける医療資源の有限性の示すサイドBの景色だ。感染症以外の病気の人は十分な治療を受けられないかもしれないし、感染症そのものの治療に用いるべき人的物的な余力は、いつもは頼りがいのある大きな病院にはもうないかもしれない。

 けっしてそんなことにはならないように。

 いざというとき、あなたのいのちを救うために、極力、自宅にとどまってください、と、説き合うしかない。他人との接触を8割、9割、減らし、家にいるしかいまできることはない。

 その間、営業をできない店舗や、収入を得られない労働者等に、かれらぐるみで恩恵を受ける社会が、それを抱える国家ができることは、経済的補償だ。いま、働くために外に出ていないからといって、とてもたくさんのものを失うことはないという安心と、その実証だ。