年齢や性別によらず、そういう瞬間なり時期なりは、人生に一度又は何度か訪れるとは思うけれども。
これからしばらくが街なかがいちばん過ごしやすくて美しい季節なのに、障りがあって恋をすべき人たちがデートできない、などと21分目くらいから始まる菅原洋一さんによる『TSUNAMI』を聴いて思ったことよ。https://t.co/PPAYrvKcDZ
— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2020年4月16日
ともかくは、家から出ないことで、それだけで、感染拡大に歯止めを掛けることができるのだ。この、学校にも通えない、買いものにも不自由で、映画にもスポーツ観戦にも競馬場にも出掛けられない、まったくの閉塞状態から脱するためには、いま、そして、「十分に」しばらくの間、家から出ないことが求められているのだ。
目下、essentialか、non-essentialかで、職業が振り分けられている国があるという。わたし自身は、もともと在宅の仕事なので、自分の仕事がそのどちらに属するのか、はじめから考えない。そして、たとえ後者に属する事柄を生業としていたとしても、人の流れを極力減らし、人が交差する点を極限まで少なくするために、店を閉じたり公演を中止したりレイオフされたりした人たちに補償を行わないとしたら、その人たちに公益のために飢えて死ねというに等しい。
それが店舗の営業を禁じる「命令」ではなく、公益のために店舗を一定期間閉めてくださいと「要請」するという、21世紀的に洗練された行政手法によるものなら、補償もまたセットにされるべきである。
新訳のほうを読んでみたい。