ぴょん記

さつまいも、たべたい。

『鎌倉殿の13人』第6回

 甲斐の武田信義のもとへ援軍を求めていった北条時政と義時。あくまでも頼朝でなく自分が打倒平家の旗頭でなければという信義の主張にごもっともと頷きかねない時政に、院宣をよこせとか家人になれとか信義も言いたい放題である。それをなんとか引っ張って石橋山へ引き返す義時の前に、待ち伏せの兵が現れ、時政が華麗な太刀捌きでもって、結構な人数を切り伏せる。この時代の一廉の武士というものは、大きな城を構えたり、何百人もの雑兵を抱えたりしないけれど、ひとりひとりの武技はそれなりに平生磨き込んでいたのだろう。小豪族の一員がそれぞれ、武技をどういう過程で身に付けたのかは、依然、学問同様、謎だけど。

 伊豆権現で家族の無事と武運を祈る政子のもとへ、頼朝のもとの恋人の八重さんがやってくる。佐殿はご無事ですだってわたしの夢枕に立たれたのですからと、八重さんはいう。それを聞いて、政子は、佐殿はわたしの夢枕にも立たれましたよと対抗する。実際にはそんな夢など見てはいないのに。「AさんがBさんの夢に現れたのは、AさんがBさんをつよく思っているから」という前提で夢枕を語れば、頼朝が八重さんの夢にだけ現れたというのは、頼朝が愛しているのはいまも八重さん、ということになり、政子にとってはそれではあまりに悔しい、水をたたえた手桶を蹴り飛ばすほど悔しいものなのだろう。小池栄子さんの政子は、いかにも当世風な政子だけど、部分的にちゃんと平安人らしいところがある。それはともかく、八重さんは八重さんで、用事があって伊豆半島周辺が殺気立つ中を伊豆権現に来たのである。わざわざ政子の胸に波風を立たせるために権現にきたのではない。八重さんは、夫の江間氏が出陣して留守になったので、5年前に生き別れたままの千鶴丸という息子の消息を尋ねにきたのだ。そして、悲しい真実を教えられる。

 さてもさても、畠山重忠に、三浦氏の本拠を襲えと命じるときの、酷薄そうな大庭の台詞、よかったですね。

 

 「平家はなぜ後白河院を手に掛けなかったのか」という問いがどこかに上がっていたけれど、そもそも本邦の「天皇」は、イギリスやフランスの「王」とはかなり異なるので、いったいどこから説明を始めるのが適当であるものやら。