※ おしまいに追記あります。
大蔵御所に頼朝が移徙してから少なくとも丸一年は経過していたであろうに、万寿を生むまで、政子は、亀が夫の枕席に侍る身であることを把握していなかったのである。少なくとも知らないことになっていたのに、政子の出産のために夫妻が離れて住む必要ができたものだから、亀の存在が明るみに出てしまった。三浦義村は亀を軽く口説いてみるし、亀は亀で身柄を預けられた先の上総介に秋波を送ってみたりで、ややこしい。
四郎時政は、身分は頼朝の御家人だが政子の父親でもあるので、自分の身内を粗末に扱われるとは我慢がならない、と伊豆の領地に戻ることを宣言する。三浦の父、義澄のほうは、神馬奉納に名乗りを上げたが、「見映えのよい者が適任だからお前ではつとまらない。」と頼朝にばっさりと斥けられている。頼朝は、ときどき四郎時政ならずとも、「我慢できねえ!」と言いたくなるほど直截で無礼な物言いをする。それは、大勢を決するような大きないくさで負けたとき、まっさきに首をとられるのは頼朝であって、ほかの御家人たちはなんとか命だけはとか命+所領の三分の一だけとかで命拾いできる立場だからというのはあるだろう。でも、限度というものがあるのでは。
上総介が都の公家どもに侮られないようにと手習いをして、それを小四郎に皆には黙っていろと命じるシーン、この大領主が佐殿に敵対する道はなかったとしても、ここまで取り込まれずともよかったのにと思わないでもない。
追記
見目がよくないからと今回神馬を引くお役を与えられなかった三浦義澄ではあるけれども、のちに後白河法皇から頼朝を征夷大将軍に任じるとの使い・中原氏が鎌倉へ派遣された際、その院宣を受け取る大役を仰せつかる。その推挙事由には、蹶起の際に、三浦の本拠を攻められて父親の大介義明が戦死したエピソードもカウントされている、と(『吉村昭の平家物語』より)。