ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

『鎌倉殿の13人』第13回

 今回は、御家人が鎌倉の三浦館に集うての憤懣大爆発のシーンからカメラワークが少し変わっていた。彼らの肩口と同じ高さで、佐殿への不満をぶちまけられる義時の目線でそれぞれの顔が近寄ってくるのだ。祖父の三浦義明を殺されたと恨む和田義盛と大庭に命じられて義明を殺した畠山重忠がもう同じ利益集団の中で押し合いへし合いしている。それから、比企能員と妻の道が親戚の娘たちを蒲冠者範頼と九郎義経に近づけようと企むシーンなど、いわゆる「天カメ」からのような映像であった。わたしなど、生活の大半が在宅で、在宅の半分はソファに寝そべってくらしているようなものなので、ソファや帳台のない武家の暮らしではばったり床に寝そべるしかないとは思う。でも、道が鎌倉殿の嫡子万寿君の乳母として、きちんと着付けた袿のままたびたび床に仰向けになると袿の背が傷もうなあと思う。

 さて、源氏の御曹司をふたりおびき寄せた比企能員が、「さとは気立てのよい娘でございます」と菅田義経三浦透子嬢を紹介するとき、『いやもう、そのおつもりならば、どうぞ今夜のうちにも懇ろに。』と聞こえてのちの浦の苫屋の朝寝坊で置いてけぼりである。本作を「コメディと言う勿れ」と呼ばわる人がいるというのもいかにもむべなり。

 江口のりこさんが政子に向かって、「(頼朝から)手を引きます」と言ったの、本心にしても方便にしても、「身を引きます」よりもなんだか能動的で恰好よかった。それにしてもあの和泉式部の歌は、情交直後の睦み合いを詠んだものなので、政子がちゃんとりくの課題図書を読み込んでいたらなにをぬけぬけとと激怒したところだったろうに、漁師の娘で妻だった亀に無学を窘められたのはくやしい。

 さてさて、義時のもってきたあの金目鯛、いくらなんでもあの金目鯛の大きさは。鎌倉と伊豆の距離もものともせず10日に3度やってくる甥もいかにも面倒だが、やはり、鯛の大きさの本気のほうが、よほど「こわい」。

 義時たちが訪ねていった先の木曽義仲は、かなり立派な人で、平家物語の「猫間」の章段にあるような、絵に描いたような非礼を都で繰り広げるタイプとは思いがたい。後世における木曽の不評は、別に理由があるようだ。鎌倉勢が上洛できない最大の理由が都に駐屯したあとの糧秣の確保に難ありということだが、木曽もまた、たくさんの兵を養うための余分な食料が都にはなくて、しかも本国からも追加で送るわけにもいかなかったのだろう、やむをえず徴発を繰り返すうちにお荷物になってしまったのだ。。横暴を極める平家を追い払ったあとは、大人数の田舎のさむらいなどは早々に本国に引き揚げてほしいというのが、都の貴族や庶民の本音である。おもえば、義仲も哀れなものである。ところで、その義仲の息・義高を演じる市川染五郎さん、美しい。

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金目鯛は、伊豆でも箱根でもよく出るけど。