ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

表札とあいさつ

 ある頃から、わたしの住まう公共住宅の各住戸の玄関前から表札が消えていった。転入してきた住民ははじめから表札を掲げず、そして、従来の住民もドアの左側にある表札を外していった。これは、一戸建てのみならず、集合住宅にも侵入して、独特の記号でその屋の住人らの外出時間帯や家族構成などを記す賊があると報道されたり、高齢者を狙った特殊詐欺が横行したりしたことと、割と関係があるのだろう。せめて姓氏だけでもむき出しの情報として晒さないでいたいという、住民のささやかな願いは、よくわかる。ただし、表札を出さず、入居時にごあいさつもなかった(それはそれでよいのです。)数戸離れたおうちの人の、名字もわからず十何年同じフロアに住まいして、赤ん坊が生まれた、小学校に通っている、今度中学になって、下の子も小学生だ、という状況は、なんとなく寂しい。寂しいのと同時に、関わらず、煩わせないという点が清々しくて好ましくもある。(400字)

 

 大学のゼミで講読するときに手に入りやすい形体に編み直された作品集。