ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

行政主体が自ら行うまでもないと

 PFI(=民間資本活用による社会整備)の例として、しばしば美祢社会復帰促進センターが挙げられる。

ja.wikipedia.org

 刑務所の名称を用いずに、「社会復帰促進センター」と呼ばれる、この種の施設は、たとえば美祢に所在するものならば、新日鐵とSECOMなどが中心となって設立されたSPC(特定目的会社)が、整備・運営に当たっているという(以上、上記日本版ウィキペディア美祢社会復帰促進センター」の項より。)

 同センターの収容者は、懲役刑の受刑者のうち、初犯で、刑期も短く、出所後の帰住環境もある等の条件を満たした者とされる。その犯した罪も、「他人の生命または身体、精神に回復困難な損害を与える犯罪」ではないことが求められ、つまり、殺人、強盗殺人、強盗、強姦を犯したならば、その罪では、同センター等には収容されない。収監されるのは、通常の刑務所である。

 話は、少し変わる。今度は、介護の話である。

 これまで、わたしの身近には、介護を要する高齢者がいなかったので、よく知らなかったのだが、介護保険を利用した公的サービスを受けるようになると、途端にいろんな外部の人が家庭に関わるようになる。自治体の委託を受けた「センター」から「ケアマネージャー」が派遣され、高齢者の居宅のあれこれを調査し、高齢者個人の生活環境や家庭環境についていろいろ聞き取りをして、自治体に提出するための、高齢者とケアマネージャーの属する「センター」とが契約を結びましたという内容の契約書を取り交わして帰って行く。高齢者が、デイケアセンターを利用する場合には、デイケアセンターの担当者と、前述のケアマネージャーが再び高齢者宅にやってきて、高齢者個人の介護保険の内容等を確認し、サービス利用料金の個人負担額はこれこれですといって契約書を取り交わして帰って行く。

 以上、刑事上の矯正施設と、高齢者の介護サポートとで、剥権的な刑罰と、給付行政の大きな違いはあるのに、いずれも公の本体の手を離れて、民間が主導で行うという共通点が存在する。これは、たとえば1970年代の日本人にそれぞれの仕組みをこういうかたちで民営化しますよと提示してみれば、それはおそらくコストも抑えられてしかも小回りも効くだろうから一見よさそうに見えるけれども、実際のところ、円滑にかつ適正に行われ得るものなの?と二の足を踏まれるような感じである。

 公の組織が従来提供してきた国民等に対する働きかけを、公の機関から委託を受けた民間の組織が行うことに、まだまだわたし「たち」は慣れていないのではないだろうか。

 わたしは美祢のセンターの具体的な評判は知らないし、ケアマネージャーさんも全能ではないから利用者の要望に100パーセント沿うことが難しいのもわかる。でも、こういうのは、民間に委託されるにはコスト節減以上のなにかよい理由があるからだと思う。

 もちろん、それぞれの取組みに係る原資が全額税金であれ一部受益者負担であれ、お金の流れはできる限り透明性を担保されているほうがよい。公会計の「だいたい」が、議会と有権者らの目によって見張られているのと同じく、お金についてはきれいに説明できるようにしておく責任が受託者にはあるだろう。それぞれに適用される会計基準にしたがって、適正に処理されているのだと、いろんなところでひとまずは安心しておきたいのが民のこころではないのか。

(この項、しばらく考えていきます。)