ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

実際のところ、わたしはどこにいたのだろう

 同世代の女の子に対して、気後れ、ないし心の隔たりを強く感じる子どもだった。その傾向に、家族構成や生育環境は、相当程度寄与したには違いないが、いま振り返ってみるに、たとえどのような家、地域や町において育っていても、わたしと同性のヒトとの間の籬はそれなりに厚いものになっただろう。

 女の子は、わからない。いまでいう、マイクロ・アグレッションを繰り出してくる前に、ちょっと批評する。それから、比較する。いったりきたり。批評と比較を織り交ぜて、なにかしらの判断を下す。それは、必ずしも透明な判断ではない。やや攻撃的だったり、逆に迎合的で、阿諛追従の小さなコインをためしに差し出してこちらの反応をみたりする。

 女の子は、痛いことをする。大人の見ていないところで、小突くし、蹴る。抓ったり、ときにはものを投げてくる。学校の教室の灯油ストーブの付属品の棒で殴られたのと、通学路の歩道から2メーターくらい下の畑に体当たりで落とされたのが、わたしが同じ年齢の女の子から受けた乱暴のなかでも二大ハイライトで、前者は目を狙われ、後者は頭をしたたかに打ったので、力加減をしらない者のふるう暴力とはまことに恐ろしいものである。

 あまり同性と親和的なエピソードをもたず、成績などどうでもいいからお友達と仲良くしてくれたらそれでいいという親のことばに二重に傷ついている間に、子どもの時代はすばやく通り過ぎていった。そのあとも、なんとなく、同性とは仲良くしづらく、もちろん、男性にも女性と同じかそれ以上の距離を保ってきたように思う。

 その過程で、わたしの人あしらいもそれなりに辛辣なものに変化してきたのはいうまでもないことで、本当に申し訳ございません。

みぞれ玉