ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

無理が積もるのを皺寄せというのかも

 纏足という習慣が、古い時代の中華圏にはあったそうだ。女児の足は正常な歩行に堪えないほど小さく、それも小さければ小さいほどよいという「審美眼」のもと、足の指が折り曲げられた状態で布をきつく巻き、足全体も成長しないように、その矯正は女児が思春期を迎え成人するまで続く。そして、変形させられた足を包む、十数センチの小さく華美な刺繍を施された「くつ」が、彼女の価値の多くを示すものとして賞賛され、金持ちの妻や、妾や、さらには娼婦としても、ありがたがられる。もとより、労働には適さないので、農家の主婦や市場のおかみさん、女中や小間使いには、纏足であることは求められない。

 このまんがの主人公は、かなりリベラルな兄の庇護のもと、いい家のお嬢さんであるにもかかわらず、纏足にされるのを免れて、屋敷を飛び出して市中を、ときには危ないあたりまで駆け回る。年頃だから、そろそろ縁談に応じて嫁ぐことも考えなければ、と自身の行く末を思わないこともないが、男の子を挙げなければと躍起になる嫂、複雑な事情を抱えた召使いたち、さらには町中の祠で会った限界状況の同性の心配を親身になってするようなしっかりした女性なのだ。読み書きも達者で。

 その彼女が、遺体の供養を行った女性の道士に弟子入りしたいと願うようになる。敬意をこめて「女仙さん」と呼ばれる道士は、そのリクエストをクールに断る。そこであっさり引き下がったりしないお嬢さんと女仙さんとの心理的綱引きが続いて上巻が終わる。下巻では、この「女仙さん」の前身に焦点がおかれる。

 清代の台湾の都市は、辮髪にした文官が治める社会で、中国本土と同様に、家を継ぐ男の子が産めない妻は軽んじられ、生まれたはいいけれど望まれぬ女児は遺棄されたり、売られていったりした。なんとか生き延びて成人したのちも苦難は続き、家族を養うために権力者の陰の妾になったり、未亡人になるや次の家に売られていったりする。

 そうした女という性について回る不如意を、近代以前の民衆意識がどのように扱っていたのか、この伝承に基づくまんがは、ひとつの答えを提示してくれる。