ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

麦茶問題・うちの場合

 太古、麦茶は、夏の飲みものであった。数リットルも入る大きな薬罐にパックにも入っていない炒った大麦を一掴み入れて、ぐらぐら煮立てて急冷し、1.5リットルのポリ容器に入れて冷蔵庫の扉部分に収められていた。

 それが、小学生のころの記憶である。

 大人になって自分の差配する台所をもつと、夏さえ麦茶を飲まなくなる。朝はコーヒーを点て、昼は中国茶を幾煎かポットで飲み、夜は仕事帰りにビールを飲んで喉をうるおす(が、実際には脱水されている。)。そこへ勤務先の塾から急ぎで数回家庭教師に入ってくれと派遣された先で、12月の寒い時期に、「おかあさん、麦茶のんでいい?」と生徒さんが冷蔵庫を開けるのを見て、それは新鮮な思いをしたものだった。

 まあ、ノンカフェインだし、わりと安価だし、麦茶、問題は少ないよね。

 ということで、なぜか高齢者世帯であるにもかかわらず、ここ数年、うちでも麦茶を毎日3リットルから4リットル、用意して消費するようになった。容器は、無印良品の1リットルか700mlのガラスボトルで、不織布パックに入った麦茶パックを使用している。不織布パックに入っていてさえ、麦茶は安い。そもそも本来は「茶」ですらない。「大麦」の炒ったものなのだ。40個のパックで40リットルの麦茶が入るが、それでさえ、税込で299円なのだ。1パック10円もしない。

 ところで、現在売られている麦茶のパックは、煮出しと水出しの両用であることが多い。わたしが手に取るのも大抵、両用のものである。

 それをボトルの底に入れ、熱湯を注いで麦茶にして、台所に保存して食事のたびごとに出していたけれど、この夏、劇的に製法を変えた。ボトルの底に麦茶パックを入れ、勢いよく水道水を注いで、蓋をして冷蔵庫にしまう。手順は、これだけだ。作った麦茶は、4時間以内に消費するようにしている。ボトルの洗い方は、心持ち、執拗になった。無印良品の1リットルのボトルならば、底まで手に握ったスポンジで直接洗える。

 麦茶のつくりかたを水道水での水出し法に変えたのには、大きく分けてふたつの理由がある。ひとつめは、単純に製造が消費に追いつかなくなったからだ。都市ガスで数リットルの水を沸騰させるには十分程度かかる。その間、暑さを堪えながら火のそばに付いていて、他の作業をするにしても、いずれにしても暑い。そして熱湯で作った麦茶は冷えるまでに時間がかかる。その隙に、麦茶内では、よくないものが倍々ゲームで増えていく。ごくごくごくごく。そのボトルさえ、見る間に空になる。ふたつめの理由は、カルキかなにかが添加されてもなお、うちの水道水は、なかなかおいしいということだ。わたしは、名水百選の水源の近くで育ってはいるが、水の味にはとんと無頓着で、硬度はだいたいわかるが旨いまずいは人の主観に負うところが大きいと信じている。そのわたしが、この家に住むようになって、毎朝、顔を洗ってうがいをする際に、ここの水道の水を『あまい』と感じたのだった。市域全体が巨大な水甕のうえにあるような土地柄というのもある。これほどの水道水ならば、もうそのまま麦茶にしても衛生上も味覚上も問題ないんじゃないか、と。

 

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 それはそうとして、とにかくがんばって飲水してもらわねばならない後期高齢者には、650mlの麦茶ボトルを2本、毎日割り当てている。年をとると、水分をとるのも疎かになりがちなので、こちらのほうは経済性よりも医療上の必要が優先するのだ。

 

 毎回、違うブランドの麦茶にして、味に飽きないように配慮しているけれども、肝心の味の違いがわたしにはわからない。