ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

身体を使って働くということを思い出した日

 普段、煮炊きや布団干し以上の物理的な力を身のうちから出すような労作をしていないため、木曜に取り組んだ作業は、おもに両足の脹ら脛の下半分から踵あたりまで、痙攣必至の筋肉作業であった。ええ、後期高齢者ひとり座らせた車椅子を何百メートルかずつ、2度、移動させただけなんですけど。

 そういう作業も含めて、木曜は、朝からけっこう細かい時間割で動いていてくたびれたこともあり、夕食には、ガストの鰻を出しました。わたし自身は、180円安くなっているチーズの入った大きなハンバーグのお弁当で。ガストさんの鰻は、おもえばこの夏の初めにも食べたし、たぶん一年中メニューの上には載っているのだろうけど、レギュラーが1200円台、鰻が倍になると1800円台の値付けだ。鰻のしたにはごはんが詰められていて、だいたい無料で大盛りにもしてくれる。大根の漬物もついていたそうな。

 同じ木曜、「たまには鰻も食べたいぞ」、同「おしゃれ」、同「旅行」というスローガンで、生活保護受給者及び支援者のデモが京都市内で催行されたという。ガストさんのうなぎは、上記のような値付けだし、すき家さんに至っては700円台で提供されているという。だから、鰻は、はじめから手の届かないご馳走というわけではなく、「ちょっといいもの」の代表として連れてこられたのだろう。生存権に関する憲法訴訟の塙矢といわれることも多い朝日訴訟では、病気療養中の原告の一ヶ月に使う生活用品、たとえば鼻紙の量なども審理の俎上にあげられた(ように記憶している)。

 いま、鰻を食べたい人はたまでも食べられる水準の給付が生活保護において行われているかどうか、議論の分かれるところだろう。鰻の高級品と廉価品の間をとって、それの真ん中よりもけっこう下のほうの一人前でも、牛丼チェーンやファミリーレストランでなければ、3000円くらいはするのではないだろうか。月の食費が22000円程度の単身者ならば、この一食で3000円が飛んで、のこりの19000円で89食を賄うことになるので、けっこうたいへんな感じがします。

 まあ、22000円とか3000円とか数字も怪しいし、皆が皆、鰻を食べたいわけではないだろうけど、主張するべくしてされた欲求の端的な部分ではあるのでしょう。わたしは、いったいどんなものが食べたいのだろうか。鰻もけっして嫌いではないけれど、自分が食べるよりは家族が食べている顔をみるほうが好きかも。

 

 京都国立博物館から東福寺まで歩こう!と誘う、同館の公式ツイートがときどき流れてくるけれど、それはまたいつかの春か秋にね。