ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

腫れ物は辛抱の訓練を強いるもの

 以下、体液の排出に関する描写を含みます。

 わたしは、しばしば皮膚の表面に、「癕」と呼ぶことの多い腫れ物を作る。ヨウ。ヨウは、しばしば臀部付近に現れる。若いころには、稀に腋下に出てくることもあった。ヨウに見舞われた最初期にいった海辺の皮膚科で、液体窒素で患部を瞬間的に冷やして穿刺して排膿するという手技を受けた。その皮膚科医は、「タコの吸い出し」という民間薬のことを「まだそんなのあるんだ」と笑っていたが、冷やしてぐさりと刺すのと浸透圧で腫れを引かせるのと、どちらかといえば後者のほうがモデレートでわたしは好きだな。もっとも、「タコの吸い出し」を使ったことはないけれど。

 その後、ヨウが発生する部位がじつに微妙な箇所に移動したこともあり、洗浄と殺菌をまめに行いつつ、リドカイン等少しだけ入った軟膏で痛みを取って腫れ物が熟れて自然に排膿が始まるまで数日間待つというスタイルに移行した。一口に膿といっても患部のあたりに滞留していた諸々の余分な水分が一気に排出されるので、10cc近くに及ぶこともある。だから、そろそろ排膿だと思う時点で患部に吸水させる脱脂綿など貼っておく。なにせ寝ている間に皮膚を破ってそろそろ出て行こうと水分が決めたら、本体が寝ていようが電車に乗っていようが出て行くのだ。そのころには、患部の表皮も角質層も腫れで伸びきって薄くなってよれよれになっている。

 これは間違ってもセルフメディケーションなんてものじゃない、とヨウができるたび、毎回思う。ただ、5分前まで寝ても座ってもただ立っているだけでも腫れぼったいのを通り越して物憂く痛かった患部が、膿の排出の開始を境にして、「このへんでもしやなにか変事がありましたか?」とけろりと問うかのように感覚だけ一足先にもとに戻ってしまうのは、人間の痛覚の仕組みとしてじつに興味深い。排膿後の皮膚表面は、もうほんとうにぼろぼろでしばらくは殺菌に注意を要するけれども。

 なお、さいわいなことに、ここ数ヶ月は特別な処置を要するほどに大きなヨウは出現していない。汗もかいていなかったからかな。