ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

斃れる前兆だとしたら

 このごろ、朝は、ややきつめの頭痛と一緒に起きる。家の中だけでもくるくる動き回って家事をこなしていると、しぜんと酸欠気味になるようで、恢復するまでに浅い呼吸を重ねながら長い時間の睡眠を必要とする。骨も筋肉も脂肪も平均的な同年代よりは多めの、大きい身体を、衰えた肺と草臥れた心臓で養ってくれているのだと思えばありがたいものである。だとしても、この頭痛はいったいなんだろうか。

 きのう、鍋一杯の炒飯を作った。豚コマとシメジ、ごはんを炒める以前に、炒り卵と、白菜の炒めは、それぞれ別に作っておいた。それをハウスの炒飯の素で調味して、大きな楕円の皿に盛り、食べられるだけお上がり、と、夕飯に出した。わたしは、前日の夕飯のために焼いた小さな食パンが残っていたので、それを温めもせずにがりがりと囓った。まるで、炒飯と豆腐汁を食べる人間と、トーストの残りを囓る大きなネズミがひとつの食卓に同席している態であった。

 風邪を引いている間の熱冷ましで胃が荒れたこともあり、わたしは、このところ、ごはんを食べられなくなったり、無理に食べて腹具合を悪くしたりしている。それを見ている人間は、会社からの帰りのドラッグストアで菓子を買ってきてはバスケットを一杯にする。親でも兄でもないのに、これまたありがたいことである。

 いろいろ無理をさせている身体だもの、人並みに長生きできるとは思わない。でも、できるなら、動けるかぎりは、毎夕、まま炊いて食べさせたいなあ。