ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

「正解」など、ない

 

「謝ってるから許しなさい」他人を許すことを強要する教育に違和感…謝ったのに許してくれないという思考が生まれる原因にも。大人はどう対応すべきなのか? - Togetter

これと関連して、なにかトラブルが起こったとき、事情を深く知るわけでもないのに、「どっちもどっち」と軽くいう人、自分が困ったときに口を封じられたらどんな気がするだろう。

2018/12/27 09:57

  「被害者」は、口頭や文書での謝罪を受け入れない場合、「加害者」に対して同害報復や仇討すら視野に入れた制裁を行うのか、それとも、ただ「許さない」態度を示す、あるいは「許す」と口にしないだけなのか。

 すべての前提として、誰かになにか悪いことをしてそれを謝罪したにもかかわらず許されないことを問題にする社会か、それを内面化したものかどうかは別として、許されないことを潔しとしない個人がなければならない。その社会か個人にとって、許さない人の存在が都合の悪いものである限り、「許せ」という圧力が加えられるだろう。

 美しい文章でお詫びを綴る、誠実な口調で自らの不明を詫びる、けれども、必ずしも衷心から反省しているわけではない、というのをわたしたちはなぜか敏感に「感じ取る」。だからこそ、頭を下げられてもその謝罪を即座に受け入れがたいと思うことがあるのだろう。

 自分のことに限っていえば、以前から、謝ってもすぐに同じことをされるのだし、ここで許しても許さなくても同じことをされるのだから、面倒だからあっさり許してしまえばいいわあ、と諦めがちだった。するとそのうち誰も謝りさえしなくなった。偽りの寛容を通り越して、ばかが顔に透けて見えるようになったのだろう。こうなっては、人間おしまいである。

 まあ、意固地に許さずにいると逆恨みというかそれを遺恨として、斬りかかってきかねない種族の末裔には、たいていの過ちや頼み事には迷わず頷いておけという庭の訓えがあったというのも理由のひとつ。