ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

お母さんも悪くない

 育児は、親であることに由来する義務であり、また、権利であるけれども、断じて罰ゲームではないのだ。お母さんを叩かないで。

 分かち合う財貨の総量が有限であるとき、社会政策の一手法として、何らかの障壁を設けて財貨を受け取る者の頭数を絞り込むというのがある。きょうは、一部、鬼のようなことを書く。節分が近いからじゃない。普段は屑のように社会の吹き溜まりに蹲っているわたしだが、ときどきひどいことも考える。

 ひとつめ。いまはどうだかわからないが、昭和の終わり頃、通学先の公立小学校では、月に1回、きまって給食の前に何人かの児童の名前が全校放送で読み上げられた。印鑑をもって校長室へ来るようにと言い添えられて。それが給食代の免除を受けている児童らの名であることは高学年ともなれば皆が薄々わかっていて、給食代の免除を受ければ、その事実が児童全体と、こどもの口から保護者らに伝わることも知れていた。放送で名を呼ばれる児童は、子の平日のお昼代を支払うこともできない貧しい家庭の子。そういう貧困な家庭の子は、貧しさを恥じるべきである。もし、自分の子に恥ずかしい思いをさせたくなければ、家計が苦しくともなんとかして給食代を工面しろ……。ほかに方法もあるのに、わざわざ全校放送で氏名を読み上げるのは、そういう強迫であると受け取れないこともない。そうやって、給食代の免除という公的扶助を受けられる人数を絞っていたのだ、と思う。

 ふたつめ。現行の制度では、いわゆるひとり親世帯に支給される児童手当の額は多くなく、しかも親の年収が100万円台の後半のある額を超えると手当の額が削られるという。もし、ひとり親、現状では多くは母親ということになるだろうが、その親がそれほどたくさんの時間を育児以外の労働*1に振り向けなくても生計を維持できるほど、児童手当の額が十分に潤沢であれば、離婚率はさらに上昇し、夫婦和合の醇風美俗の風潮が社会から払底するとでも、もしか誰かが考えているのだろうか。とにかく、いま、女手ひとつで子を育て上げるのは、特に経済的には難しく、それが離婚への歯止めになっている側面はある。

 みっつめ。これを上の二つと同じ平面で語るのは、やや無理があるけれども、入国管理の現場で、日本に無理に留まろうとするとたいへん苦しい目をみるという現実でもって、日本へ来ようとする人を堰き止めていることをあえて取り上げる。法務省の現場の職員の人が、いったいどういう気持ちで毎日の実務を執り行っているのか、語られることは少ないが、きれいな水ととりあえずの安全、働けば食べられる経済のある、まだまだ世界の多くの場所よりはずっとましなこの国へ身を寄せたがっている人は大勢いる。来たい人はたくさんいるけれども、難民認定を申請してもたいていハネられる。そして、入国管理における裁量権の逸脱又は濫用があったと司法の場で認められるケースは、必ずしも多くはない。それにしても、入管の人、収容所の職員の人だけが水際の責任を負わされ、また、収容されている人が長らく不安定な処遇を受けているのは、両者にとって気の毒な話だ。入国管理を巡る諸問題、今期の両院の法務委員会で議題になったりしてるのかな。

 これだけ書いておいてあれだけど、でも、どこにも圧倒的な悪役はいない、と思うのですよ。

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不二家のケーキと、『御牧』の進捗。

 月刊Flowers西炯子『初恋の世界』で、よっさんの離婚の条件で、婚家からお金を受け取ったら長男を跡取りとして取り上げられる、という下りがあって、いくら「丸州」の「角島」でも、21世紀の民法が通用するならそこまでは、と思ったけど。慰謝料や養育費の支払と、親権や面会交渉権は、ところによってはそこまで深くリンクするとですか、まさか。

*1:わたしには、育児が重労働に思える。たとえ子が物分かりのよい小3であろうと。