ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

『真鶴』

 ある年の雑誌BRUTUSの年末の読書特集号で、川上弘美さんの『大きな鳥にさらわれないよう』を知った。雑誌クウネルで毎号、彼女の短編に親しんでいたので、連作のように見せて実は大きな物語を構成する手法をとった、その人類滅亡のドラマは、するっとわたしの心に落ち着いた。

 一方、同じく川上さんの作品である『真鶴』は、現代の都市と浜辺を舞台とした小説である。娘さんが3歳のときに行方を眩ました夫のことを始終考えながら、生活のために働き、また、家庭のある男性との関係を続ける主人公が、「ついてくる」気配だけのような実体をもっているかのような女に唆されるように、真鶴へと何度も足を運ぶ。動詞にひらがな表記が多用されている効果だろうか、この感覚的で実際の年齢よりはかなり若く見えておそらくは驚くほど美しい主人公が、4分の1ほど、異界に足を突っ込んでいるのが、なんとなくわかる。たとえていえば、彼女は、一旦冷えて固まった寒天であっても、風濤に耐える岩石ではないのだ。やわらかな存在だ。丸ごとすべては、うつし世の人ではない。

 いなくなった夫そのものを探すというよりは、夫が姿を消した理由を探して、主人公は真鶴へ引き寄せられる。自分の何らかの欠落が、あるいは過剰が、生活も職業も妻子もすべてそのままにして、彼がいなくなるように仕向けたのではないかとは、彼女は考えない。あくまで彼の内側の事情が、そのような選択へと彼を運んだのだと信じて、理由の痕跡を探すために浜辺をさまよう。

 この春先だったか、ドイツの映画でウンディーネの伝説をモチーフにしたのを見たときと似たような不思議な感覚が残った作品だった。それだけに、電子版の巻末の解説を読んで少し驚いたことよ。