ぴょん記

お暑うございます。

『100日間のシンプルライフ』

 ドイツでアプリ開発を行うベンチャー企業を共同経営する幼なじみの男性ふたり。37歳のパウルと35歳のトニーは、プライベートでも同じ建物の違うフロアに住んでいる。開発したアプリケーションをアメリカの会社が高額で買い取ることが決まった矢先、ふとしたことから「持たない暮らし」をきっかり100日続けることで競争することになった。所有する物品はすべて貸倉庫にしまい込まれ、1日に1個だけ回収することを許される。

 どうしても必要というわけでもないのに多種類しかも大量に買ってしまって、しかもそれに飽き足らず、すぐにまたたくさんたくさん手に入れたくなるのはなぜか、という普遍的な問いに関する話である。

 映画の中では、彼らは、なぜか着ているものをすぐに脱ぐし、脱いだまま公道を走ったり、開けた草地でもすべて脱ぐし、そもそも着るべきものがまったくないところから始まるので、ぼかしの入った裸体をしばしば見せられることになる。そのへんは、あまりわたしの好みではないけれど、トニーの後ろ姿の、肩の筋肉はとてもきれいだと思った。

 ところで、物への執着について、パウルの家族史から示されることがある。

 2018年に制作されたこの作品には、60歳代のパウルの両親と、90歳に近い母方の祖母が出てくる。パウルが1981年生まれだとしたら、両親はたぶん1950年代生まれ、おばあちゃんは、日本でいうと昭和一桁生まれだろう。戦争で住居を失った彼女はトランクひとつ提げて本国に引き揚げ、収容施設で暮らす。そのあと結婚して娘を生み、成長した娘はパウルを育てながら、家庭的に恵まれなかったトニーの面倒をときどきみていた。話の端々から彼らが旧東ドイツで暮らしていたことが知らされ、それゆえに、ベルリンの壁が壊されて少ししてティーンエイジャーになったパウルとトニーの新しいものを求める気持ちに内心頷く「オッシー」たちの姿が仄見える。ドイツ統一直後からしばらくの間、物質的に恵まれなかった旧東独出身者を東の人、オッシーと呼んで、からかう、ないし、軽侮する西の人「ヴェスター」の話は、私が西側の国である日本の民でありながら、日本のなかでは圧倒的に「地方」の民に分類されるだけに聞くたびに複雑だった。少なくとも社会インフラという点では、日本でも「地方」は、恵まれていないほうだったし、たまたま、わたしは、あまりお金をもっていないから、「所有する」ないし「買う」ということについて、人の目を意識するほうだった。せつないことには、もう、東京の人にも(京都の人にも)なれないけど、かといって九州の人でもなくなって、だけどデラシネを名乗るほどの叙情性もないのよというしかないのだ。

100simplelife.jp

 

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 WOWOWオンラインで観たので、加入中の方はそちらでどうぞ。