「三谷吾妻鏡」は、時政が都から連れてきた後妻の牧の方と、先妻の子らである宗時、政子、義時らとの初顔合わせの、主に時政の気恥ずかしさなど描写しないのである。第3回の冒頭では、頼朝が北条館に入り婿同然の共棲みが始まってはや数年、後鳥羽への入内も擬せられた将軍夫妻の最初の子、大姫が覚束なくではあるがおひろいするまでに育っている。
公式ホームページの衣装の説明でもあったが、このころ、政子の衣類は以前よりは上等で色鮮やかなものになったが、依然、湯巻きで腹から膝下まで防汚や保温をはかっており、これは北条館で立ち働く一族の子女である身分に変動がないことを示すのだという。つまり、頼朝という夫をもとうが、かれとの間に大姫という娘を儲けようが、北条の人であることには変わりなく、北条の外戚である伊東が、「新しい目代が嫁を求めているそうだから、政子を差し出せ。」ということすらあるし、その輿入れ計画の実現もまったく無茶ではないという不安定さだ。それは、子を殺されて家人の妻にされてしまった八重さんをみればわかる。
今回は、籠に盛った野菜をもって、その新しい守の目代へ挨拶にいった時政が、権守の堤氏に辱められる場面がよかった。第2回で、土下座を強要されたが断った義時が堤氏の郎党らにぬかるみに顔から突っ込まされたのと同じような決起への動機付けである。
持参した野菜を堤権守に踏み潰され、さらにそれを頬に塗りつけられて脅されても、顔を引きつらせつつ、努めて冷静な声で逸る義時を宥めて帰ろうとする時政、演じる彌十郎丈の渋み。#鎌倉殿の13人
— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2022年1月23日
相手が刃物を持ち歩いて、しかも、それなりの「暴力装置」を備えていることに、この堤氏があまりに鈍感というか、自分の後ろにいる伊勢平氏という虎に対する信頼が過剰というか、2回続けて父子に恥を搔かせて、この先この人たいへんなんじゃないかな。農業生産力から各豪族が動員できる兵力を割り出した義時はこのころ二十歳前後。この時代の武士の教育は、寺のお坊さんとか社の神官さん、都から下ってきたもと官人とかが担っていたのかなあ。官人といえば、のちに問注所を担当する三善康信を小林隆さんが演じているのも楽しみですね。