ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

『鎌倉殿の13人』第16回

 九郎義経のみならず、蒲冠者範頼、阿野全成の亡くなるさままで知っていてもなお、木曽義仲の道半ばでの死は、鮮烈であった。院の御所をひとり訪れて、御殿の奥深くに息を潜める後白河、丹後局平知康に聞こえるよう、声を励まして別れの挨拶を告げた義仲は、巴御前とも別れて、今井兼平とふたり、範頼の手勢と向かい合う。ただひとつの心残りとは、おそらく鎌倉に質子に出した義高のその後。それにしても、そのことばの途中で彼の頭蓋を貫いた征矢の無慚。巴御前が、「我こそは木曽殿の一の家人。」と名乗りを上げたのと、巴を女と侮った兵たちが文字通りなぎ倒された後、国許に残した「うさぎのようにおとなしい妻」に飽き足らぬ和田義盛が満面に笑顔を浮かべて現れたのと。

 今回は、義経の燦めくような軍略の才に、三度までも梶原景時が驚嘆するさまが丁寧に演じられている。最初は面前で、あとの2回は、義経のいないところで。そのそれぞれの色彩が微妙に変わっていく。この先、義経の京での振る舞いや、屋島及び壇ノ浦の合戦、なかんずくは「逆櫓」論争を経て、景時が、とても仕事ができる創業家の部屋住み息子だけど3分間同じ空気を吸うのも耐えがたいと、義経のことを憎悪し、身の危険を感じるまでの道のりが、第17回から第19回にわたって、おそらくは描かれるのだろう。捨助が17年の歳月を経て梶原景時に変わるまでに、途中、卑弥呼やペリーを演じた獅童丈。NHKの擁する至宝のひとりである。

 鎌倉殿というひとつの有機体で、頼朝とは違う役割を果たすという展望を語る政子さんと、金剛と名付けられた義時の長子の出生に、自分がいずれ生む子こそが時政の跡継ぎになるべきというりくさんの会話の噛み合わせの悪さは、伏線というよりすでに顕著な躓きの石でしょう。

 「鵯越」と2度出て、2回目のは「鉢伏山」に置き換えられた、ですねえ。