ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

『さがす』

 ※ 今回は、「ネタバレ」満載です。

 金曜の夜から見始めて、途中Wi-Fiの不具合や体調不良などを経て、日曜の午前にやっと見終わった映画。中年男とその娘、青年が主たる登場人物。

 物語上は、青年が、「動いている人間」に性的な関心を抱かず、むしろ絶命したばかりのご遺体を好むという嗜好をもつことに自ら気付くところからすべてが始まる。青年が、難病にかかって身動きすらままならない妻の看病をする中年男に、そっと内緒の企みを打ち明けたのは、ただの共犯者ほしさからだったのか。その気になれば単独の犯行も可能であるのに*1、中年男に標的の確保という、この種の犯罪にとって前半の肝というべき作業を任せている。

 一方、失踪した中年男を捜す中学生の娘。母親を亡くすという不幸を経験して間もない彼女は、それでも気丈に日々を過ごしている。そこへきて、こんどは父親までが消える。警察は、まともにとりあってくれない。担任の女性教諭は、ビラを作って配るとか、彼女を自宅に泊めるとか、児童施設の人を連れてくるとか、それなりに心を砕いてくれるけど、娘の心に響いてはこない。それは、しょうがないのだ。彼女に心を寄せる同級生の男子生徒も、父親の行方を捜す小旅行に着いてきてほしいのなら、乳房を見せろと要求するなど、なかなか生々しくてシビアな現実に皆がそれぞれ囲まれている。

 ここまで「ネタバレ」を読んでしまった人でも、なお、この映画は観る価値があると思う。というのは、映画の演出が、登場人物の台詞が、異様にさびしいのだ。車いすになって買い出しの食料が届くのを待っている「顧客」が投宿したビジネスホテルのうすぐらい天井の低い廊下とか、昭和50年より前に建った家の日に灼けた茶の間とか、高齢の男性がひとりで暮らす家の奥座敷にひっそりと膨らんでいる空気人形とか。秘密の開示も犯罪も、「有料コンテンツ」という青年の表現も。この中年男、妻のことも娘のことも、さして大切にしていないのではと疑う瞬間が、ときどき生まれたりもした。結局、中学生の娘がおとうちゃんを探して走り回っていた時間にしか、純粋で真摯なものはなかったのかな。いやいや、妻の人生の終わりにも、それを見つめる中年男の眼差しにも、きっと善いものはあった、と思いたいけど。

 

 

 

*1:げんにこの映画のモチーフにされた凶行は、単独犯によるものとされている。