ぴょん記

大根のおいしい季節ですね。

わたしは不快さを回避します

 折に触れて、『これはどうしたものかしら。』と感じることに出会う。わたしには、大きな声で異議を唱えるのに十分な肺活量もないし、何かを動かして状況を改善するための力もない。少々粘ってみてもしょうがないことは、自分の目の前にも少し遠くにも地球の裏側にもごろごろ転がっている。

 よきにつけ悪しきにつけ大なり小なり、状況を変えるためにはそれなりの代償を支払わねばならない。いくら自分に言い分があったとしても無理を通そうとすれば、非難や非協力、無理解に妨害といった障害に苦しむ可能性が大きい。

 ひとりひとりは、このように小さくて非力だから、組合や政党のように結束して団体交渉や議会において主張を通そうと試みたりもするのだろう。そこまで大きな組織でなくとも、なにかを伝えようというとき、署名を集めたり、なにかをしようというとき、いまならばさしずめクラウドファンディングでお金を集めたりするのだろう。

 個人的な問題に限れば、わたしは、(実際には滅多に泣かないけど)泣き寝入りすることがけっこう多い。たとえばお店で揉めたなら、正式に抗議して、謝罪を申し出られて、それを受け入れてから、改めて正当なサービスを提供されるという選択肢はあるのだろうが、抗議する、謝るのを聞く、わかりましたと言う、サービスをまた受ける、という手順を践むのに遣う自分のエネルギーがもったいない。第一、公然と反論できない相手に抗議するのは、不快なのである。そんな思いをするくらいなら、わかりましたと引き下がって、涼しい顔をして次から別の店に通うほうがずっと楽だ。「別の店」は、都区内なら星の数ほどある。わたしと同じように考える人は、案外少なくないと思う。

 

 本棚を掃除していたら、懐かしいこの本が出てきたので、これからまたぼちぼちおさらいをする。