ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

自分を護るために吐く嘘

 もう何十年も前に、衛星放送のフィリピンのニュース番組のおわりにキャスターが、「もし、あなたが自分の吐いた嘘をずっと覚えていられるのでなければ、嘘を口にしてはいけませんよ。」という意味のことわざを口にした。原文は、おそらく英語、そして、ことわざ自体はきっと現地のことば、タガログ語だったのだろう。

 一般に、日本のオフィシャルな場面では、嘘を吐くのは、避けるべきこととされている。そればかりか、半分プライベートな、ご近所付き合いとか、ほぼ完全にプライベートな親戚付き合いの関係においても、嘘は、それを口にした人、伝えた人の信用を傷つけ、よい雰囲気を壊す。

 その上で、職場や近所、仲間うちや親族内で、虚偽の事実を申し向けてしまう場合を考えてみる。会社の帰り際、今晩、セッカクデスカラちょっとだけ飲みに行きましょうよと誘われて、実際はたぶん元気すぎるほど元気なのに、ごめんうちの下の子が保育園でなんかもらってきて熱出してるからザンネンダケドきょうは帰るわ、と苦笑まじりに告げるのは、角を立てずに突発的飲み会を断る方便として、きっと許される(例えが20年くらい古いけれど。)。真実は、つまり、下の子が熱発などせずにけらけら笑って機嫌もいいことなど、万一職場で露見しても、ああよかったですねで、とりあえず、その場はスルーされる。だから、よくないのは、ばれたときに、誰かを不愉快にしたり、少なからぬ不利益を生じさせる嘘だ。

 いったい、それは、どんな嘘だ。

 ともあれ、そういうよくない嘘を吐いてしまうのは、いかなる動機によるものかといえば、ばれたときの信用の毀損とか関係性の破壊とかのリスクを冒してまでも、護りたい何かがおそらくあるのだろう。自分の内心まで踏み込んで、自分の身になって考えてくれる人などどのみち誰もいないから、自分のことは自分で護らねばならない。だから些細な作りごとグライ、きっと許されるし、許されなければならない……。

 おれたちは、嘘を吐かなくてもなんとかやってこれたけど、それは、おれたちが正しいからではなくて状況として比較的強い立場にあるというだけなんだ、だから、つまらなくみえる嘘で身を守ろうとしたり、大事な事実を黙って隠し通そうとしたりする人を責めるだけじゃなくて、そういう方向に追い込まない話のもっていきかたを覚えないといけないよねと、法曹関係の職についているある先輩は、かつて言ったものである。

 いや、laymanであるわたしは、正しくもないし、ましてや強くもないし、つまらない隠しごとをよくするけども。

躑躅ほぼ定点カメラその2