ぴょん記

寒いのは好き、そして春も待ち遠しい

腹を立てすぎる孤独

 わたしひとりが気ぜわしい思いをしているだけならよいのだが、住んでいる住宅の敷地内外が、今年に入ってからにわかに落ち着きをなくしているように思う。平たくいえば、南アジア系の入居者等と、古くからいる住民の間の軋轢である。おもな争点は、住戸内や小さなグラウンドの中で南アジア系の人々が立てる騒音で、初夏、自治会の名でエレベーターの1階ホールにA4用紙で2枚にわたる英文の「ご注意」書きが掲出された。

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 上の記事は、7月16日10時50分ぐらいまでは、全文読めるだろう。うちの物干しから観測した範囲では、記事中で紹介されたように洗濯物を干すための紐をベランダにわたしているうちはそれほどなかったので、もしかしたらこれはべつの住宅の話かもしれない。ともかく、うちの住宅には、南アジア系の住民は多い。エレベータで乗り合わせる住民の典型例は、70代以上の日本女性、体格のよい中国人の若者、がっしりとしたインド人である。

 わたしは、南アジア系の学齢前のこどもさんの甲高い叫び声が夜の8時を過ぎても下の小さな遊具のある空き地から上がってくるのは、住戸内で騒がせずにぐっすり寝かしつけるために親御さんが連れてきているのだと思ってきた。ここ数年ほど、ずっと。ところが、上の記事によれば、もともと南アジア系の人々には、宵の口の長い時間を屋外で話合いながら過ごす習慣があるのだという。つまり、大人が話し込むために、かれらに連れられて外に出たこどもも遅くまで元気すぎるほど元気に走り回っているのだろう。

 夜、公園に集まって、異国に暮らす同国人と母国語で話したり、生活上の情報交換をしたりすることにもとより罪はない。日が暮れてしばらく経ってからのこどもさんのきゃーきゃーいう叫び声も、わたしは、なかなか慣れることはできないけれど、だからといって皆もそうだとは限らないだろう。十年後、二十年後、この区とこの町がどんなふうになっているのか、それを決めるのは、もはや「わたしたち」ではないという気持ちもしている。