ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

たぶん部分的にセルフネグレクトしていた

 いわゆる身嗜みについて、遅くとも幼稚園に通う前後から躾の一環としてこどもたちは順次教え込まれる。爪を短めに切っておく、髪も清潔に切り揃えるか刈る、起きたらすぐに顔を洗って歯を磨く、洋服はきちんと着る、靴もきれいにしておく等等。

 わたしの通った中学も高校もふつうの公立校だったが、校則の示すラインのぎりぎり、ときには外側に若干はみ出しても、きれいにしようという風潮に逆らうように、わたしひとり、地味に地味にと作る傾向があった。見かねた担任の教諭や家庭科の教諭が、「たまには少女雑誌でも読んで美容に関心を寄せればいいのに。」という程度に。部分的にパーマを当てたりきれいなレースの肌着を制服の下に着たりするのは、親御がわりと裕福でこどももわりと成績のよい公立校で、建前の校則と本音の生活が周辺住民の皆さんから苦情が出ない程度に乖離していたことの現れで、その中では華美に近づかない自由もわずかにではあるが保障されていたような気もする。

 高校を卒業して、しばらくは化粧品も使っていたけれど、ある夏の日、あまりに暑いので塗らずに出社したところ、塗らない顔は水道ですぐに洗えて便利であることを車輪の再発明のように発見したので、それからしばしば塗らないようになった。髪も、前髪を作らなければ、あとは後ろで束ねてシニョンにすれば大きな変化はないので、その方向を選択するようになった。そして、衣類は、白のシャツに、紺、茶、灰、黒のスカートを合わせれば、不易流行の後半は追えずとも用は足りると気づいた。

 わたし個人の収入は少なく、そして支出は多かった。

 モード誌はしばしば読むけれども、掲載されている衣類、装飾品、鞄、靴に手を伸ばすようなことは絶えてなくて、欲しいと望むことさえ甚だ少なかった。そういうものがこの世にはある、それを手に入れようという層は別のことにこのように考えるだろう、という観測と予想のための材料として、手に取るモード誌であり贅沢品のカタログだった。

 「人は、他人の欲望を欲望する」(ラカン)とか「ほしいものが、ほしいわ。」(西武百貨店、1988年)とか、欲望には、あるときは自分と他人が、最低でも自分というものが、道具立てとして求められる。限られた実入りの中で、足りないという状況を回避しながら暮らしを継続しようというわたしの中に、新しい服が、きれいな鞄が、履きよい靴が、あとひとつほしいという欲望が、しだいに生まれにくくなってきたのは、他者と、そののち自分自身を疎外していったからだろう。

 ただし、表向きは、ふつうのまともな大人の顔をしたままで。

 数年前、ある鞄店で、「どれでも好きなのを買ってあげるよ」と夫にいわれて、わりと躊躇なく、けっこう値の張る品をふたつ選んだ。5000円の本は買えても500円の髪留めは買えなかったのに、どうしてそうなってしまったのかといえば、その前々年に大病をして、差額ベッド代を含む医療費を家計からたくさん支出させたので、お金に関する考え方が変わってしまったからだろう。わりと質のよい鞄を、欲しい個数だけもつような生活をわたしが送ったとしても、もう誰も困らない。それはひとつの安定であり、節倹の終焉であり、一種のセルフネグレクトの停止であった。

たしかにお金がないと芋も買えないけれど