ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

八月は逝く

 「行く」でも「往く」でもない。八月とは、亡くなってしまってもう還らないものである。

 尾籠な部類に属する話かもしれないが、きのうは、食後の台所の片付けを終えて軽く眠ったらそのままになってしまい、再び起きて風呂に入るという手順を践むことができなかった。電解質の具合が変で、両足が一息に攣るという現象が珍しく起きてしまい、足の親指をとにかく反らすのとは反対の向きに押しつける、攣っているさなかにはかなりつらい手技を受けたあと、自重を使って攣りを抑えるというのを昼日中にしていた。水が足りなくなるとか汗を掻くとか震えがくるとか攣るとか、身体の反応がダイレクトに現れた、この八月だった。そもそも、前月の末から、入院の文字がちらついたりもしていた。わたしが入院したら、後期高齢者本人と、その他の家族が困る。

「川を渡るのに、一艘の小さなボートしかありません。これを使って、AとBとCとDを左岸から右岸へと最終的にすべて渡します。ただし、AとCだけを一緒にしておくと、AがCを食べてしまいます。……」

 というLSATかなにかの問題のように、あちらとこちらとそちらの調整がたちどころにつくというものではなく、介護を要する家族を抱えた病人は、きっと自分のことよりも介護を要する家族の「その間」の暮らしをまっさきに考えるのだろう。今回は、なんとかなったが、信頼できるショートステイ先を確保しておかなければならないけれど、これだけ疫病が蔓延して、施設そのものの親族面会もいまだ制限を受けている時分に、短期利用者を受け容れてくれる介護施設などそれほどあるものだろうか。

 などと考えながら、きょうも箒のあとでダイソンのハンディクリーナーを使い、水拭き雑巾を噛ませたワイパーで食堂と玄関ホール(と間取り図に表示されている空間)、台所をぐるぐる拭いて回った。

 お疲れさま、八月。また来年会おうね、八月。

伊勢大神楽一座の舞台設え。