ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

『日本沈没 奇跡のひと』

 小松左京の小説『日本沈没』が、はじめに映画化されたとき、のちに雑誌「Newton」の創刊に関わる竹内均先生は、「自分も地震学者の役で出演した」とどちらかといえば誇らしげにのちの著作やインタビューで言及していた。

 この2021年のTBS連続ドラマ『日本沈没 奇跡のひと』では、竹内均先生が演じたほうではない、在野の地球物理学者を香川照之さんが演じている。推論とデータの解釈はまちがいなく世界でも有数の先生なのに、お金の引っ張り方とか人との関わり方とかにおおいに難ありの人物・田所博士である。ちなみに、このドラマには富士山麓に住まう大物国士の渡老人とかそのお付きの美少女花枝やボディーガードは出てこない。主人公とサブの主人公のふたりが霞ヶ関の官僚なので、『沈むかも』と最初に予言された関東平野の取りかかりにある東京からドラマがなかなか離れないのである。

 後半で、1億2千万人の日本人が日本列島から待避するための移民枠を1年未満で確保するという大きな仕事が政府及び未来推進会議のうえに降ってくる。はじめの受け容れ人数は、せいぜい百万人のオーダーから始まった。しかし、それを幾ら積み上げていっても埒があかない。作中、災害シーンは地震も含めて最小限に抑えられているので、いま暮らしている地面が海中に没するというイメージをもちにくい住民らも、言葉も習慣もまったく異なり、生活基盤もない外国への移住にそれほど乗り気でないという状況も計画の推進にブレーキを掛ける。

 人道的な見地からどうか助けて下さい、というきれいごとだけでは、どの国もなかなかいい顔をしてくれず、優良企業が生産ラインをまるごと移転するので、それに日本の住民を抱き合わせで、というプランを皮切りに、日本国は様々なものを手放して移民枠を押さえにかかる。小松左京の原作では、狭い国土のさらに狭小な工業地帯や限られた農山村地帯で、ぎっしりと並んで辛抱強く生産に従事する国民の勤勉性以外、特に取り柄のない日本人を喜んで受け容れるのは、シベリア開発に意欲的な当時のソ連だけだったように、国土やそこを基盤とする生産消費行動を失う日本人の受け容れに積極的になる国は、当初、ほとんどない。

 世界の目の前で、億の単位の人間が、まもなく数ヶ月で海中に沈んで確実に死ぬのに……?

 そう、手を差し伸べなければ、人間が「確実に死ぬ」と分かっていても、なにもしないことは、現実に「ある」。裏返してみると、これは、実におそろしい連続ドラマだ。どこかの人間が「確実に死ぬ」とわかっているときに、その人間を助けるか助けないかの判断基準を置く余地はあるのか。作中で、法務省からの出向者が、刑事施設収容者の国外退避について言及したとき、会議のメンバーのみせた反応がなかなかシビアだった。刑務所の入所者の多くは、もともとの日本の住民だろうけど、その何万人かについては、少なくとも真っ先に国外退避させるリストには入れられていなかったのだ。同じ日本の住民についてすらこうなのだ。国外からみたとき、受け容れるのは、なるべく資産をもった、教育水準・技術水準も高く、温順で辛抱強い日本住民から、という選別が働くだろうし、だいたい日本の住民が、世界からみて難民として受け容れたいタイプかどうかおそろしいけれども聞いてみたいような気がする。いまなら特に、ドイツ、フランス、北欧各国のアフリカ中東地域からの移住者を多数抱える国の一般人に対して。

 このところ、海外ドラマや映画では、西洋と中東の激突という山内先生の本に書かれていたようなことばかり観つづけていたので、このドラマはいっそうわたし個人の古傷にも沁みた。