ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

正しく怒ることにも難しさ

 誰に対する皮肉のつもりでもないけれど、半径10メートル以内の個人的事柄について(と、一応限定はしておこう。)、どんどん強気で押していってものを言うのが億劫になるときがある。

 思えば、わたしは、マイナスポイントの多い人間だ。ちょっとした不正を目にして、それってどうなんですか?と相手に聞くことはあっても、ああこれはこれこれの理由で、と誤魔化されればふうんそういうものですかねと、それ以上追及することなくスルーすることが多い。相手の、気付かれたかもしれないけれどここは誤魔化して乗り切ろうという強い意思に触れると、たとえばコピー用紙の10枚や20枚、私用のために自宅に持ち帰る程度で次からやめてくれれば、被害も小さいんじゃないかと思って。

 これだって不正を幇助する行為だし、もしかしたら、次はもっと大きな業務上横領の事案が発生するのかもしれないが、その場に限っては、大きく揉めるべき事柄でもないだろう。

 つねに多数派に属しないために、揚げ足を取られぬように、自分自身は極力規則は守る。もし、わたしのような寄る辺のない身の上で、信号無視や速度超過などで検挙されれば、すごく強く非難されると思うからこそ細心の注意を払って道路を通行する。万引きの嫌疑など掛けられないように、買い物にいっても、自分のバッグの口はきちんと閉じて、間違っても店の商品がバッグに転がり入らないように気を付ける。これはもう、小学生のころからの習慣だ。

 身のうちに誤謬の少なからぬある人間としては、ここ数年のネット上の、自分に落ち度があった蓋然性をあらかじめ丁寧に潰して、その上で状況を説明して自分の正当性を証明する作文法は、あ、もう無理だな自分にはできない、と感じられる。交通事故の過失割合のように、相手が65パーセント、自分が35パーセントミスをしたのでこんな不幸な事故が発生した、というならいいが、わたしにはまったく過ちがないのにひどいことが起こったというストーリーをたとえ第三者目線であっても綴ることは難しいのだ。

 まあ、そういうことを早朝の夢の中で考えていた。

今朝は赤いハーブティー